プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画10:制約理論(TOC)(2)

ということで、制約理論とクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメントの中身の話しに入る。以下、制約理論(TOC: Theory of Constraints)*1TOCクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメント(CCPM: Critical Chain Project Management)はCCPMと呼ぶ。依拠するおもな文献は、ゴールドラットの『ザ・ゴール』(1992年、邦訳2001年)*2と『クリティカルチェーン』(1997年、邦訳2003年)*3とする。

『ザ・ゴール』は、生産性が低く赤字がつづいていた工場を、TOCの考え方をもちいて立て直す話しである。だから、テーマは製造業の製造ラインの話し。『クリティカルチェーン』は、『ザ・ゴール』での経験をプロジェクトに適用する話しで、こちらのテーマはプロジェクトマネジメント。どちらもTOCがもとになっているが、TOCがより詳しく説明されているのは『ザ・ゴール』なので、まずはこちらを読むことをお勧めする。小説としても『ザ・ゴール』のほうがずっと面白い。

『ザ・ゴール』では、まず、「計画は必ず遅れる」ことが検証される。その理由は、製造ラインが複数の工程からなる一連の依存的事象であり、各工程の処理能力には統計的変動があるためである*4。要するに、製造ラインではひとつまえの工程の成果を受けて次の工程が仕事をするということ(依存的事象)と、それぞれの工程の処理能力は同じではなく「ばらつく」ということ(統計的変動)である。このふたつの性質のため、生産は必ず遅れる。このことが、小説では、ハイキングの途中で子供たちがやるサイコロゲームで説明される。

ゲームでは、キャンプ用のアルミ椀を5つならべ、はしにマッチ棒をおく。お椀が製造工程で、マッチ棒が製品(仕掛品)である。それぞれのお椀のところに子供がひとりずつつき、順番にサイコロをふり、出た目の数だけ自分のお椀から次の人のお椀にマッチ棒を移動させる(依存事象)。サイコロの目は1から6のあいだで変動するので、これが各工程の処理能力の違いをあらわす(統計的変動)。動かせるのは自分のお椀のなかのマッチ棒だけなので、サイコロを振って5が出たとしても、自分のお椀にマッチ棒が2本しかなければ2本しか動かせない。マッチ棒が1本もなければ、もちろん1本も動かせない。また、全員が順番にサイコロを振り、1ラウンド終わったときにお椀に残ったマッチ棒は、そのまま残して次のラウンドに進む。つまり、各工程の仕掛品として残るわけである。
1回サイコロを振って動かせるマッチ棒の数は、最高が6本で最低が1本だから、平均すると1回に3.5本動かせることになる。10ラウンドくりかえせば、35本のマッチ棒が5番目のお椀から出てくることになる。さて、子供たちが10ラウンドやってみて、何本のマッチ棒が5番目のお椀から出てきただろう? これが、なんどやっても、20本ほどしか出てこないのである。

実は、筆者も、暇にあかせてやってみた。1ラウンド目22本、2ラウンド目28本、3ラウンド目24本と、35本には遠くおよばない。さすがに何10ラウンドもやってみるほど暇ではないので3ラウンドだけにしたが、どうやら、これは偶然ではないようだ。だとすると、各工程の平均処理能力から予測した、10ラウンドやれば35個の完成品を生み出せるという「計画」は成立しない。すなわち「計画は必ず遅れる」。

これは、各工程が依存関係にあるラインでは、前工程から後工程に、プラス(進み)は引き継がれず、マイナス(遅れ)のみが引き継がれることをしめしている。前工程のプラスを引き継ぐためには、後工程は、前工程と同じかそれ以上の処理をする必要がある。サイコロゲームでいうと、前の人が平均以上の目(4, 5, 6)を出した場合、自分は、それと同じかそれ以上の目を出さないと、前の人のプラスを後の人につなげないのである。だが、もちろんそれ以下の目が出ることもある。そして、それ以下の目が出た場合、目の数だけのマッチ棒が後の人に引き継がれ、余りは仕掛品として残る。逆に、前の人が小さい目を出した場合、引き継げるのはその目の数のマッチ棒だけなので、自分がどんなに大きな目を出しても、後の人に引き継げるのは、前の人から受け取った数のマッチ棒だけある。つまり、依存関係にあるラインでは、遅れだけが引き継がれる。すなわち、計画は必ず遅れるのである。

 

お分かりいただけただろうか。ゲームを文章で表現するのは、けっこう難しい。申し訳ないので、マッチ棒ゲームを分かりやすく説明してくれているサイトにリンクをはっておきます。こちら↓です。

「2つの勘違い」は工程のバランス追求が発生源:利益創出! TOCの基本を学ぶ(4)(1/3 ページ) - MONOist


今回はここまで。
TOC/CCPMの話しは1回で終わらせるつもりだったのに、意外と長くなりそう。
次回は、上記以外の「計画は必ず遅れる」理由をいくつか紹介します。それが、ゴールドラットがプロジェクトマネジメントに心理的視点をもちこんだアプローチです。
では、また。

 

*1:TOCは、「制約条件の理論」や「制約条件理論」などとも訳されるが、ここでは「制約理論」と呼ぶ。constraintsを「制約条件」と訳すことについては多少、言いたいことがあるが、またの機会にゆずる。

*2:ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2001)『ザ・ゴール:企業の究極の目的とは何か』ダイヤモンド社

*3:ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2003)『クリティカルチェーン:なぜ、プロジェクトは予定通り進まないのか?』ダイヤモンド社

*4:『ザ・ゴール』p.165

計画9:制約理論(TOC)(1)

ということで、今回は、ゴールドラットの仕事について見る。

エリヤフ・ゴールドラットEliyahu Goldratt)(1947年~2011年)は、イスラエルで物理学を専攻する学生だったが、工場を経営する知り合いから相談を受け、生産スケジューリングに関する独自な考え方と、それにもとづくソフトウェアOPT(Optimized Production Technology)を開発した。OPTの評価は高く、ゴールドラットは、大学卒業後まもなく、OPTの普及とコンサルティングをおこなう会社*1を設立した。会社は、米国ゼネラル・エレクトリック社(GE)のプロジェクトで大幅な収益改善を実現するなどして、成長企業となった。しかし、40万ドル(約9,500万円*2)という価格がネックとなり、OPTの売り上げは期待したほど伸びなかった。

そこで、1984年、ゴールドラットは、OPTの考え方を広く紹介するために、プロのライターの助けをかりて、当時としては珍しかったビジネス小説を書いた。それが、10数か国語に翻訳され、世界で200万部*3を売り上げた『The Goal』(邦訳2001年*4である。

『The Goal』は発売とほぼ同時にベストセラーとなった。しかし、読者からの反応はゴールドラットにとってショックだった。小説に書かれているとおりに工場改善をおこなったら劇的な成果があがった、という報告がぞくぞくとあがってきたのである。つまり、15ドルの小説を読んでその考え方を導入することが、40万ドルのソフトを導入するのと同様の効果をあげたのである。これではOPTの存在価値がない。

また、当時、OPTを導入して効果をあげた大企業の工場で後戻り現象がみられたということもあった。OPTによって生じた効果が、徐々に縮小・後退しはじめたのである。ゴールドラットはそれをソフトウェアの限界と考えた。多くの工場では、たんにソフトウェアを導入して生産ラインの効率をあげただけで、コスト重視の考え方や、パフォーマンスの評価指標などが従来のままだったために、工場全体は以前の生産方法にもどっていったのである。

これらのことを契機として、ゴールドラットは、自ら設立した会社を退職し、OPTの基本原理となる「考え方」を発展・普及させることを目的に、新たな協会*5を設立した。

OPTの基本原理となる考え方は、制約理論(TOC: Theory of Constraints)で、それをプロジェクトマネジメントに応用したものがクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメント(CCPM: Critical Chain Project Management)だが、これらについては次回、紹介する。

 

今回は、TOCCCPMを紹介するつもりだったが、その背景となるエピソードが面白かったので、そちらを紹介していたら長くなってしまった。
ということで、次回は、本題にもどって、プロジェクトマネジメントに心理学的視点をもちこんだTOCCCPMについて考えます。
では、また。

 

*1:Creative Output Inc.

*2:1USドル=237.5円(1984年)

*3:『制約理論(TOC)についてのノート』(小林英三, 2000年, ラッセル社)による。何年時点の売り上げかは不明。Wikipediaによると、2014年時点で1,000万部とのこと。

*4:ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2001)『ザ・ゴール』ダイヤモンド社

*5:Avraham Y. Goldratt Institute (AGI)

計画8:行動経済学からプロジェクトマネジメントへ

ここで、プロジェクトマネジメントの話しにもどる。

ここまでの話しを簡単に振り返っておこう。計画論の話しをしているのだった。計画には合理主義的計画と漸増主義的計画があり、伝統的プロジェクトマネジメントは前者に立っている。だから、人工物をおもな対象とするアポロ計画はうまくいったが、人間や社会を対象とする地域医療計画はうまくいかなかった。なぜなら、人間や社会は合理的ではないから。そこから、合理主義的計画は、工学的な領域では有効であっても、社会的な領域では必ずしもうまくいかない、という評価が定着した。だが、それにもかかわらず、いまだプロジェクトマネジメントの主流は合理主義的計画を前提としている。(筆者が生業としている開発援助も、人間や社会を対象とする社会開発事業だが、依然として合理主義的計画にもとづいてプロジェクトをおこなっている。例外的な動きも見られるが、それについては回を改めて紹介する。)

一方、経済学においては、人間を完全合理的な存在としてきた伝統的経済学に対して、サイモンが人間の限定合理性を指摘し、その流れのもとにカーネマン*1とトヴェルスキーのふたりの心理学者が、非合理的なふるまいをする“現実の人間”をモデルとする行動経済学への道をひらいた。

ということで、本ブログのまず第一の論点は、行動経済学のアナロジーをプロジェクトマネジメントにあてはめてみることである。

筆者がプロジェクトマネジメントに関わるようになったのは、いまから20年ほど前だが、そのころから、書籍やプロジェクトマネジメント協会(PMI)*2のニュースレターなどで、「70%のプロジェクトは失敗している」ということが盛んに喧伝されていた。そして今でも、「70%のプロジェクトは失敗している」という記事をみかける*3。このデータが本当なら、この20年間、プロジェクトマネジメントは役に立っていないし、改善されていないことになる*4。本ブログの「計画:4」でも、工学系のプロジェクトにおいてすら正式な計画は使われず、現場が現場のために作った計画が使われていることや、PERT/CPMの成功率が15%であることなど、見たとおりだ。

そうだとしたら、プロジェクトが計画どおりに進まないのは、プロジェクトチームに問題があるというよりも(それも少なくはないだろうが)、計画どおりに進めようとすることにそもそも無理があるのではないかと考えるべきだろう。

そして、行動経済学のアナロジーをあてはめるなら、プロジェクトマネジメントにおいてもまた、限定合理的な人間という現実をうけいれ、心理学的視点をとりこみ、プロジェクトをおこなう“現実の人間”の行動モデルにもとづいたプロジェクトマネジメントを考えるべきではないか、と考えるわけである。

そう思って振り返ると、プロジェクトマネジメントに心理学的視点をとりこもうとした事例、それも無視できない大きな事例があったことに思いいたる。エリヤフ・ゴールドラット(Eliyahu Goldratt)である。

ということで、次回は、ゴールドラットの制約理論、およびそれをプロジェクトマネジメントに適用したクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメントについて見ることにする。

本ブログのタイトルが「プロジェクトマネジメントを哲学する」でなければならないわけがお分かりいただけたと思う。本ブログが目論んでいるのは、プロジェクトマネジメントの前提を根底から見直すことなのである。

ということで、次回はゴールドラットです。

では、また。

*1:カーネマンは、著書ファスト&スロー』のなかで、「サイモンは、20世紀の知の巨匠である。彼は20代のときに組織における意思決定論を執筆し、これはすでに古典となっている。サイモンの数多い業績はそればかりではなく、人工知能分野の創設者の1人であり、認知科学の重鎮であり、科学的発見プロセスで多大な影響力を持つ研究者であり、行動経済学の先駆者である。そして、ほんのおまけでノーベル経済学賞を受賞した」と言っている。(カーネマン, D.(著)、村井章子(訳)(2014)『ファスト&スロー(下)』ハヤカワ・ノンフィクション文庫, p.367)

*2:Projcect Management Institute (US)

*3:面倒なので出典は確認していない。いずれ、過去と現在の文献を調べ、出典を確定したいと思っている。

*4:次回に見るゴールドラットは、彼のビジネス小説のなかで、登場人物に「過去約40年の間、少なくとも私の意見ではだが、目新しいことは何も起きていない」と言わせている。(ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2003)『クリティカルチェーンダイヤモンド社, p.23.)

計画7:行動経済学

さて、人間の合理性は限定的であるという前提を受け入れると、つねに経済合理的な行動を行なう「経済人」(ホモ・エコノミカス)を前提としてきた伝統的経済学は、根底から揺るがされることになる。

すでに何度か経済人には言及してきたが、ここで改めてその定義を見ると、経済人とは以下のような人間である(山口ほか, 2020)*1

  • 合理的である。
    自分が利用できる情報をすべて駆使して、自分の効用を最大化する行動を選ぶ。
  • 自制的である。
    自分をコントロールし、一度決めた行動を将来においても覆さない。
  • 利己的である。
    自分の行動を決定するに際して、自分の利得のみを考える。

もう少し砕けた表現をすると、以下のようになる。

「経済人というのは、超合理的に行動し、他人を顧みず自らの利益だけを追求し、そのためには自分を完全にコントロールして、短期的だけでなく長期的にも自分の不利益になるようなことは決してしない人々である。自分に有利になる機会があれば、他人を出し抜いて自分の得となる行動を躊躇なくとれる人々である。」(友野, 2006)*2

従来の標準的な経済学は、この"全知全能の神のような"*3人間像を前提としてその理論を構築してきた*4
これに対して、限定合理性の概念を提起したことにより、H.サイモンは、伝統的経済学がよって立ってきた諸前提を根底から揺さぶったのであり、この経済学に対する"反逆"*5ノーベル経済学賞が贈られたのである。

 

だが、それによって経済学がただちに変化することはなかった。その理由として、サイモンが限定合理性を提唱したのとほぼ同時期に、人間の行動を定量的にあつかう一般均衡理論が発表されたこと、限定合理性や満足化が概念的・理念的なものにとどまっていて、定式化やモデル化が難しかったこと、満足化と最適化とで結果として得られる行動の差異は大きくないと考えられたこと、などがあげられる(中山, 2012, p.1-528)*6(友野, 2006, p.32)。
ほかにも様々な理由が指摘されているが*7、ここでは、のちに行動経済学をうみだす立役者のひとりとなったリチャード・セイラー(Richard Thaler)の解説を見てみよう。

セイラーは、当時の経済学者がサイモンを無視したのは、限定合理性を「事実だが、重要ではない」と考えたからではないかという。そもそも経済学のモデルが正確でないことは経済学者もわかっていた。だから、こうしたモデルが生み出す予測にエラーが含まれているとしても、モデルの式に「誤差項」を付け加えれば対処できた。「エラーがランダムに発生するのであれば、つまり、高すぎる予測と低すぎる予測が同じ頻度で現れるのであれば、エラーが互いに打ち消しあうので、何の問題もない。だったら限定合理性が生み出すエラーは無視してもかまわない。さあ、完全合理性モデルに戻れ! 経済学者はそう考えたのだった」(セイラー, 2019, pp.52-53)*8

だが、こうしたエラーはランダムには発生しない。人間は、ただでたらめに非合理なのではない。人間の認知には一定の偏りがあるのだ。偏りが一定しているということは、その偏りは予測可能だということである。そう、人間は「予想どおりに不合理」(ダン・アリエリー)*9なのだ。こうしたことを指摘し、経済学に対して心理学からアプローチをはかり、行動経済学をうみだしたのが、ふたりの心理学者、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)とエイモス・トヴェルスキー(Amos Tversky)である。

 

経済学の分野で人間の不合理性に本格的に注目が集まったのは1970年代後半以降で、そのきっかけとなったのが、「不確実性下における判断:ヒューリスティックスとバイアス」(1974)*10や、「プロスペクト理論:リスクのもとでの決定」(1979)*11等の論文に代表される、カーネマンとトヴェルスキーの研究だった。

ヒューリスティックは、ギリシア語のユーレカ(発見した!)を語源とする。確実ではないが、だいたいはうまく問題を解決できる、直観的で発見的な方略のことで、セイラーは、「"経験則"のかっこいい言い方」*12だと言っている。代表的なヒューリスティックには、利用可能性ヒューリスティック、代表制ヒューリスティック、係留(アンカリング)と調整ヒューリスティックがある。ちなみに、ヒューリスティックとは反対に、手順を踏んで厳密な解を得る方法をアルゴリズムという。

ヒューリスティックは直観的・経験的なものなので、しばしば間違いを犯す。このヒューリスティックによって起こる判断ミスをバイアスと呼ぶ。典型的なバイアスには、利用可能性ヒューリスティックから生じる「連言錯誤」や「後知恵バイアス」、代表制ヒューリスティックから生じる「少数の法則」や「ギャンブラーの誤謬」、係留と調整ヒューリスティックから生じる「アンカリング効果」などがある。

プロスペクト理論は、人間の不合理な行動には一定の規則性があるとの理解のもと、その規則性を理論化したものである。プロスペクトは、予期とか見込みという意味だが、カーネマンによると、ある事情から、あえて特に重要な意味をもっていない名称にした*13とのことなので、プロスペクトという言葉にこだわる必要はない。

ここから先は、行動経済学の内容の話しになるので、本ブログの範囲をこえる。行動経済学に関心のある方は、さまざまな書籍や文献が発行されているので、それらを参照願いたい。

やがて、カーネマンとトヴェルスキーという心理学者のもとに、セイラーという経済学者が加わり、心理学や社会学の知見を取り入れた経済学として、行動経済学が体系化されていった。カーネマンとトヴェルスキーの功績に対して、2002年にノーベル経済学賞が授与されたが、トヴェルスキーは1996年に59歳という若さで死去したため、カーネマン単独の受賞となった。セイラーもまた、やはり行動経済学の発展への寄与に対して、2017年にノーベル経済学賞を受けた。カーネマンとトヴェルスキーに関しては、心理学者にノーベル経済学賞が授与されたことになる。

 

だいぶ長くなったので、今回はここまでとする。
次回は、行動経済学の話しからプロジェクトマネジメントの話しにもどる、その道筋を簡単に再確認することとしたい。
そして、次々回は、プロジェクトマネジメントに対して心理学的アプローチをはかったゴールドラットの例を見ることとする。

今回以降、少し更新の頻度をあげていこうと思っています。そのために、生活のリズムや仕事のやり方を少し変えました。

では、また。

*1:山口裕幸ほか(2020)『産業・組織心理学』放送大学.

*2:友野典男(2006)『行動経済学―経済は「感情」で動いている』光文社新書.

*3:「この全知全能モデルの見解は、恐らく、神の知性のモデルとしては役立つが、人間の知性のモデルとしては間違いなく役に立たない。」(サイモン, H.(著)、佐々木恒男, 吉原正彦(共訳)(2016)『意思決定と合理性』ちくま学芸文庫, p.64)

*4:経営学者は非常識的なほどの全能の合理性が経済人にあるとしている。経済人は完全で矛盾のない選好体系をもっており、それによって、彼にとって開かれている代替的選択肢から選択することがいつも可能になっている。さらに、彼はいつも、これらの選択肢がどういうものであるかを完全に知っており、どの選択肢がもっともよいか判断するために行なうことのできる計算の複雑さに関する制約はなにもない。しかし、それは、血と肉をもった人間の現実の行動ないしは現実に起こりうる行動とは、まったくといってよいほど無関係なのである。」(サイモン, 2009, p.135; 1989, p.27)
ちなみに、社会学は、有機体が自然環境の変化になかば機械的に反応するように、人間は社会環境の変化になかば機械的に反応すると仮定することによって、その反応パターンをみいだそうとした。このことを揶揄して、エスノメソドロジー創始者ハロルド・ガーフィンケルは、そのように仮定された人間のことを「社会学者の社会に住む人間」とよんだ*。この言葉を借りれば、経済人は「経済学者の社会に住む人間」といえそうだ。
* Garfinkel, H. (1967). "Studies in Ethnomethodology," Englewood Cliff, NJ: Prentice-Hall, p.68.

*5:サイモン, 1989, p.1 訳者まえがき

*6:中山晶一朗(2012)「サイモンの限定合理性とプロセス記述:土木計画へのインプリケーション」『土木学会論文集D3』Vol.68, No.5, pp.1-523~1-538.

*7:中山(2012)は、合理的選択理論を擁護する理由として、1) 現実近似性、2) 理論整合性、3) 簡便・明快性、4) 利便・有用性、5) 応用性、6) 優位性、7) 広範な合意・理解の7点をあげている。(中山, 2012, p.1-531)

*8:セイラー, R.(著)、遠藤真美(訳)(2019)『行動経済学の逆襲(上)』ハヤカワ文庫, 早川書房.

*9:アリエリー, D(著)、熊谷淳子(訳)(2013)『予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ハヤカワ・ノンフィクション文庫, 早川書房.

*10:Tversky, A. and Kahneman, D. (1974). "Judgement under Uncertainty: Heuristics and Biases," Science 185, No.4157, pp.1124-1131.

*11:Kahneman, D. and Tversky, A. (1979). "Prospect Theory: An Analysis of Dicision under Risk," Econometrica, Vol.47, No.2 (Mar., 1979), pp.263-291.

*12:セイラー, 2019, p.50

*13:プロスペクト理論ははじめ「価値理論」と名付けられていた。だが、カーネマンによると、「『価値理論』だと誤解を招くおそれがあるので、あえて何の意味もない名称をつけることにした。もしもこの理論が有名になるようなことがあるとすれば、そのとき初めて意味を持つような言葉のほうがいいだろうと考えた。それで『プロスペクト』にした」のだそうである。(セイラー, 2019, p.57)

計画6:限定合理性(2)<満足化、悪構造問題>

前回は、人間の合理性が限定的なものであることを確認した。
今回は、そのような限定合理的な人間はどのような行動をとるのか、すなわち、限定合理的な人間の行動原理について考える。

今回はちょっと長くなるので、見出しをつけました。

 

1.満足化

前回の最後に述べたように、経済学はつねに合理的な選択を行なう経済人を前提にしているし、われわれは合理主義的計画にもとづいてプロジェクトを実施している。つまり、人間は客観合理的である、という前提に立っているのである。

この場合、人間は客観的に合理的な判断ができるのだから、その判断にもとづいて「最適」なものを選ぶことができる、ということになる。この場合の人間の行動原理は「最適化」(optimization)である。経済用語をもちいれば、効用関数にもとづいて効用が最大になる選択を行なうということであり、この行動原理は「最大化」(maximization)である。最適化と最大化はほぼ同義と考えてよいだろう。

一方、限定合理性の考えを受け入れると、人間は、客観合理的な判断にもとづいて最適解を選択することはできないことになる。では人間はどういう行動をとるのか? サイモンによると、人間は満足できるレベルのものを選ぶ。この行動原理をサイモンは「満足化」(satisficing)と呼んだ。「私の主張は、人間は最大化する知力がないから満足化するということである」(Simon, 1958, p.62)*1

前回、サイモンがあげた、客観合理的であるための3つの要件を紹介した。いいかえるとこれは最適化のための要件である。再掲する。

1.意思決定にさきだってすべての選択肢をパノラマのように概観できる。
2.それぞれの選択肢を選んだ場合に起こるであろう結果をすべて考慮できる。
3.全選択肢のなかからひとつを選ぶ基準となる価値体系をもっている。

これに対して、サイモンは、満足化に関してつぎのように述べている(サイモン, 2009, pp.185-186)*2

1.すべてのありうる選択肢を調べることなしに、選択を行なう。
2.世界のすべてのことがらの相互の関連性を無視し、単純な経験則で選択を行なう。
3.単純化は誤りを導くかもしれないが、人間の知識や推論の制約に直面すると、ほかの選択肢はありえない。

 

2.悪構造問題

ただし、誤解してはいけないのは、サイモンは最適化原理を否定・排除しているのではない、ということである。先の引用の全文はこうなっている。「私の主張は、人間は最大化する知力がないから満足化するということである。これは証明可能な経験的命題であると考えている。そして、もしこの主張が正しいなら、反対に言うこともできる。すなわち、あなたに最大化する知力があるなら、満足化することは馬鹿げている、と」。

つまり、最適化原理が働くか満足化原理が働くかの違い、いいかえれば、合理性の限界のありかは、対処するべき問題との相対的な関係によるのである。複雑な問題に対しては、人間の合理性は大きく限定されており、満足化に甘んじることになる。一方、単純な問題に対しては、人間の合理性は客観的合理性に近づくことができ、最適化を目指すことができる。サイモンは、前者のような問題を悪構造問題(ill structured problem)、後者のような問題を良構造問題(well structured problem)と呼んだ。そして、現実の問題は通常きわめて複雑な悪構造問題であり、人間の認識能力で客観合理的に対応可能な問題などほとんど存在しない、と言っている。「一般的に、世界が問題解決者に対して提示する問題は悪構造問題である。(中略)問題解決者にとって、良構造問題は存在せず、あるのは悪構造問題だけであると言っても過言ではない」(Simon, 1973, p.186)*3

同論文のなかで、サイモンは、建築設計や軍艦建造などとならんで、チェスを悪構造問題の例としてあげている。チェスの駒のひとつの動きを選択するのは良構造問題だが、チェスのゲーム全体は悪構造問題なのである。

 

3.問題解決アプローチ

では、そのような悪構造問題に対して、どのような問題解決アプローチがありうるのか? チェスの例が示しているように、大きな悪構造問題を小さな良構造問題に分割するのである。サイモンの観察によると、「問題解決のための努力の多くは、問題を構造化することに向けられ、努力のごくわずかな部分が、構造化された問題の解決に向けられる」(Simon, 1973, p.187)。

同論文のなかで、サイモンは悪構造問題の解決システムを模式図でもって示している。それは、最初のとっかかりとなる問題の定義、その問題の解決に必要な情報の収集、問題の再定義、解決策の選択と試行、解決策の修正、問題の定義といったループをなすシステムで、問題全体の解決にむけて、このプロセスが何度も繰り返される。

ただし、この繰り返しは、最終的な解決策が求められるまで繰り返されるわけではない。なぜなら、限定合理性のもとでは、求められるのは、最適化ではなく、満足化だからだ。そのため、この繰り返しは、問題解決者が「これで十分」と思ったところで終わる。すなわち、悪構造問題の解決には「ストップ・ルール」が適用されるのである(Voss & Post, p.281)*4

 

前回と今回で、H. サイモンの限定合理性について見てきた。
まとめると、人間の知力には限界があり、その合理性は限定的である。加えて、世界の問題は複雑に絡み合った構造をもつ悪構造問題である。そのため、人間の合理性をもって悪構造問題を解決することはできない。そこで、問題解決にあたっては、悪構造問題を小さな良構造問題に分割し、良構造問題をひとつひとつ解決することを繰り返し、最適化ではなく、満足化をめざす。

 

今回はずいぶん長くなった。
満足化と悪構造問題で2回に分けようかとも思ったが、ひとつづきの流れとして説明したほうが理解しやすいだろうと思い、あえて1回にした。いつになく情報量が多いので、じっくりゆっくり読んでもらいたい。

次回は、行動経済学の話しです。
なぜプロジェクトマネジメントで行動経済学の話しか?
こはちゃんとつながるのでご心配なく。お楽しみに。

では、また。

*1:Simon, H. (1958). “The Decision-Making Schema”: A Reply, Public Administration Review, Vol.18, No.1. またサイモンはこうも言っている。「経営理論とは、意図されているが同時に限定されている合理性に固有の理論であり、いいかえれば、最大化できるような理性をもたないために、満足化をはかる人間行動についての理論である。」(経営行動, p.184)

*2:サイモン, H.(著)、二村敏子, 桑田耕太郎, 高尾義明, 西脇暢子, 高柳美香(共訳)(2009)『経営行動:経営組織における意思決定プロセスの研究(第4版)』ダイアモンド社.

*3:Simon, H. (1973). The Structure of Ill Structured Problems, Artificial Intelligence, 4.

*4:Voss, J. F. and Post, T. A. (1988). "On the Solving of Ill-Structured Probems." In Chi, M. T. H, Glasar, R. and Farr, M. J. (eds.), The Nature of Expertise. New York: Psychology Press

たとえば"政策"といった問題解決手段(政策は、現状が満足のいかない状態のとき、すなわち現状に問題があるときにのみ策定・変更されるので、問題解決手段である)は、合理的であるという「知的」検証に耐えねばならないと同時に、関係者の調整・交渉の結果であるという「社会的」検証にも耐えねばならない(Robinson and Majak, 1967)。前者は最適化を、後者は満足化をめざすものである。しかし、前者は人間の限定合理性ゆえに検証に耐えない。後者は人々のあいだに存在する「価値選好」の本質的な相違ゆえに検証に耐えない。つまり、人によって満足度は異なり、すべての関係者を満足させることはできないということである。これについては、漸増主義(リンドブロム)のところで再度とりあげる。

計画5:限定合理性(1)

前回までで、合理主義的計画と漸増主義的計画を概観した。概観だったので物足りないところも多かったと思うが、今回から各論に入る。ここからが本題である。

概観したところでは、合理主義的計画は、工学的な領域では有効であっても、社会的な領域では必ずしもうまくいかない、なぜなら、社会的な問題はきわめて複雑で、われわれはそれを適切に分析し適切な改善計画を立てられるほど合理的ではないから、ということだった。

では、われわれ人間の合理性はどのようなものなのか? ここから数回は、H. サイモンの「限定合理性」を巡って、人間の合理性の限界と、それが示唆する計画のありかたについて考える。

第2回でも紹介したが、ハーバート・A・サイモン(Herbert A. Simon)(1916年~2001年)は、広範な分野で研究活動を展開し、チューリング賞(1975年)やノーベル経済学賞(1978年)を受賞した、20世紀の知の巨人である。その研究分野は、行政学、経済学、経営学政治学、心理学、社会学統計学、論理学、認知心理学コンピュータサイエンスなど、きわめて広範にわたる。だが、その関心は一貫していた。すなわち、組織における意思決定とその合理性である*1。彼がAI(人工知能)の先駆的研究に取り組んだのも、人間の合理性のメカニズムを解明しシミュレーションせんがためであった。そして、その研究をみちびいてきた基本的概念が「限定合理性」(bounded rationality)*2である。

サイモンによると、人間が意思決定をするにあたって真に合理的*3であるためには、以下の3つの要件を満たしていなければならない(サイモン, 1976, p.102)*4

1.意思決定にさきだってすべての選択肢をパノラマのように概観できる。
2.それぞれの選択肢を選んだ場合に起こるであろう結果をすべて考慮できる。
3.全選択肢のなかからひとつを選ぶ基準となる価値体系をもっている。

言うまでもなく、現実の人間はこれらの要件を満たしていない。「かかる状態のもとでは、実際の行動においては、合理性に近づく方法すら思いも及ばない」(サイモン, 1976, p.87)。つまり、人間は客観的合理性をもって行動する存在ではない、とサイモンは結論づけたのである。そして、このように限界をもつ人間の合理性を「限定合理性」と呼び、この概念はサイモンの代名詞ともなった。

もちろん、サイモンは、人間は合理的ではない、という単純なことを言ったのではない。彼の関心は、このような限定合理的な人間が意思決定を行なう組織において、いかにして組織としての合理性を高めることができるのか、といったことにあった*5。しかし、本ブログの関心は、さしあたり、人間が限定的な合理性をもって合理主義的計画を立案し実行することの妥当性を考えることにあるので、ここでは、サイモンの主要関心事である組織の合理性についてこれ以上深入りしない。

短いが、今回はここまでとする。
人間の合理性が完全ではないという、分かりきったことを確認しただけだと思われるだろう。だが、以前にも書いたように、その分かりきった事実を人間は受け止めていない。経済学は客観的合理性をそなえた経済人(ホモエコノミカス)を前提にしてきたし、われわれは今も多くの場合、合理主義的計画を適用してプロジェクトを計画・実行・評価している。では、限定合理性の認識を受け止めると、プロジェクトマネジメントはどのように見えるのか、そして、どうあるべきなのか。次回以降、こういった方向で話しを進めていく。

ということで、今回は、サイモンの限定合理性を確認した。
次回は、満足化や悪構造問題など、少し限定合理性の補足説明をする。
そのうえで、次々回は限定合理性の概念を受けた経済学の変化、すなわち行動経済学の話しをし、その後、限定合理性をふまえたプロジェクトマネジメントの話しへと進んでいく。

では、また。近いうちに。

*1:サイモンのノーベル経済学賞受賞理由は「経済組織における意思決定過程の先駆的研究」である。経営学では初めてのノーベル賞受賞であった。

*2:Bounded rationalityは、限界のある合理性、限定された合理性、制約された合理性などさまざまに訳されているが、経済学の領域では限定合理性が定訳となっている。

*3:サイモンはこれを客観的合理性(objective rationality)、完全合理性(perfect rationality, complete rationality)、全的合理性(global rationality)などと呼んでいる。

*4:サイモン, H.(著)、松田武彦・高柳暁・二村敏子(共訳)(1976)『経営行動:経営組織における意思決定プロセスの研究(第3版)』ダイアモンド社.

*5:人間の合理性が限定的であるということは、裏を返せば、その限定内では合理的であることを意味する。したがって、個人から合理的な行動を引き出すためには、組織内において、個人が意思決定を行なう状況を限定すればよい。具体的には、組織目標に適合的で、その個人の意思決定に必要な情報を与え、全体状況のなかの特定の側面に注意を向けさせるのである。すなわち、組織が存在することによって、個人が客観的合理性に無理なく近づくことが可能になるのである(サイモン, 1976, p.102)。限定合理性とは、そのように限定された範囲内において合理的であることを意味する、との解釈もある(吉野, 2014, p.85)。

計画4:合理主義的計画と漸増主義的計画(3)建設プロジェクトの場合

前回、次は限定合理性の話しをします、と予告したが、面白い論文をみつけたので、今回はちょっと道草を食うことにする。といっても計画の話しだけど。
しばらく抽象的な話が続いたので、すこし具体的な話しで息抜き(?)をするのもいいんじゃないだろうか。

 

まずは、道草ついでに、ひとつお知らせ。ブログのタイトルを「プロジェクトマネジメントを哲学する」に変更しました。

「プロジェクトマネジメントのあれやこれや」では、あんまりぼんやりしていて、いったい何がテーマなのかわからない。それに、もともとやりたかったことが「PMを哲学する」ことなので、話しが進むほど哲学する話しになってくる。なので、とっつき悪いかもしれないけど、ブログの内容をより的確にあらわしている「プロジェクトマネジメントを哲学する」に変更することにした。

もっといいタイトルを想いついたら、また変更するかもしれないけど、しばらくはこれで様子を見ようと思う。

 

では、今回の本題。

工学系プロジェクトの最右翼のひとつと思われる建設プロジェクト*1でも、本社で作った計画はロッカーにしまい込まれ、現場では現場の状況に応じた短期計画を立て直し立て直しして工事を進めている、という話し。

論文のタイトルは、"Is construction project planning really doing its job?"(Laufer & Tucker, 1987)*2。かなり古いけど、計画の本質的な問題に関わることなので、状況は今でも大きくは変わっていないんじゃないかと思う。 

なお、本論文が言っている「建設」がどういう建設なのか、 説明がないので分からないが、アメリカの大手企業6社のマネジャーやプランナーと本論文の内容について協議したことが報告されており、謝辞にベクテル石油*3とガイ・F・アトキンソン(カリフォルニアの土木建設会社)*4の名前があがっている。

こういった会社の建設プロジェクトでは、会社が作った正式(formal)の計画が現場事務所の壁に張り出してあることが非常に多い。だが、工事は、ときには正式の計画とはまったく異なる、現場で作った非公式(informal)の短期計画によって実行される。

正式の計画が使われない理由をいくつかあげると、
・資機材の調達が計画どおりにいかない、
・多様で複雑なプロジェクトの構成要素を統合させるのが極めて難しい、
・多くの異なるレベルの意思決定のすべてに従うことがほとんど不可能、
・正式の計画は最適化を目指して作られるが、現場で求められるのは満足化*5
などの理由があげられる。

そして、もうひとつあげると、正式の計画は管理(control)を目的としているが、現場では実行(execution)が最重要課題である、という齟齬がある。

つねに管理されているという思いは、現場のマネジャーたちを苛立たせる。最前線に立つ現場監督たちは、昨日の問題の報告書作りに追われ、今日・明日の作業に集中できない。来週の計画を立てるよりも、先週起こったことを正当化する理由を考えることにエネルギーを使ったほうが得策だということになる。

この管理の偏重は、現場で作られる短期計画にも悪影響を及ぼす。短期計画を、望ましい未来の創造に向けた前向きの計画(prospective planning)ではなく、過去の決定によって生じた問題に対応するための後ろ向きの計画(retrospective planning)にしてしまう。

こうして、現場のマネジャーたちは正式の計画を無視するようになり、皮肉なことに、正式な計画が意図した管理もできなくなる。そして、意図したこととは逆の現象が起こる。計画と現状がどんどん乖離していくため、仕方なく、正式の計画を現状に合わせて変更することになるのである。

そして、「計画が終わったら、計画書は机の引き出しにしまっておけ。それでも90%の利潤はあげられる」という格言が建設業界で囁かれることになる。

ここには、計画に関する本質的な問題が横たわっている。計画は「未来の予測」なのである。計画は「予測し備えること」(Ackoff, 1983)*6である。しかし、誰もが知っているように、予測ははずれる。標的が遠くなればなるほど、予測ははずれる。したがって、計画が通用するのは、ごく近い未来(now or soon)までなのだ。

 

長くなったので、論文紹介はこれくらいにしておく。

ひとつ追加しておくと、なぜ予測ははずれるかというと、「未来を読む水晶玉は存在しない」(平鍋・野中, 2013, p.57)*7からだ。

この論文には、計画が予測であること、人間の合理性には限界があり予測(計画)ははずれること、そのため現場は漸増的な短期計画で事業を進めていること、計画は最適化ではなく満足化を目指して作成されること、等々、本ブログで今後とりあげようと思っているテーマの多くが盛り込まれていて、ちょっとびっくりした。

1980年代末のアメリカの建設業界の様子も具体的に描かれていて、なかなか面白い。今でもわれわれのまわりにこういう状況あるよなあ、と思ってしまう。

他にも、PERT/CPM(クリティカルパスを求めて最短所要日数を算出するスケジューリング手法)が、本論文が書かれた1987年当時ですでに30年にわたってもちいられてきていたが、その効果はごく限られたもので、ある調査によると、その成功率は15%だったことなどが報告されている。

とても面白い論文なので、興味のある方はどうぞ。ネットからダウンロードできます。

 

ということで、閑話休題
次回は本筋にもどって、H. サイモンの限定合理性の話しをします。
また抽象的な話しです。だって、PMを哲学するんだから。
では、また。

*1:アポロ計画に住民はほとんど関わってこないが、インフラ建設に住民は大いに関わってくるので、建設プロジェクトは工学系プロジェクトの最右翼ではないのかもしれない。建設にもいろいろあるので一概には言えないが。

*2:Laufer, A. and Tucker, R. L. (1987). “Is costruction project planning really doing its job? A critical examination of focus, role and process,” Costruction Management and Economics, 5:3, pp.243-266.

*3:Bechtel Petrolium Inc.

*4:Guy F. Atkinson Co.

*5:最適化(optimizing)と満足化(satisficing)は限定合理性に関連してH. サイモンが提起した概念である。詳しくは、次回、限定合理性の話しのなかで説明する。

*6:Ackoff, R. L. (1983). "Beyond prediction and preparation," Journal of Management Studies, Vol.20, pp.59-69.

*7:平鍋健児・野中郁次郎(共著)(2013)『アジャイル開発とスクラム:顧客・技術・経営をつなぐ協調的ソフトウェア開発マネジメント』翔泳社.