プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画4:合理主義的計画と漸増主義的計画(3)建設プロジェクトの場合

前回、次は限定合理性の話しをします、と予告したが、面白い論文をみつけたので、今回はちょっと道草を食うことにする。といっても計画の話しだけど。
しばらく抽象的な話が続いたので、すこし具体的な話しで息抜き(?)をするのもいいんじゃないだろうか。

 

まずは、道草ついでに、ひとつお知らせ。ブログのタイトルを「プロジェクトマネジメントを哲学する」に変更しました。

「プロジェクトマネジメントのあれやこれや」では、あんまりぼんやりしていて、いったい何がテーマなのかわからない。それに、もともとやりたかったことが「PMを哲学する」ことなので、話しが進むほど哲学する話しになってくる。なので、とっつき悪いかもしれないけど、ブログの内容をより的確にあらわしている「プロジェクトマネジメントを哲学する」に変更することにした。

もっといいタイトルを想いついたら、また変更するかもしれないけど、しばらくはこれで様子を見ようと思う。

 

では、今回の本題。

工学系プロジェクトの最右翼のひとつと思われる建設プロジェクト*1でも、本社で作った計画はロッカーにしまい込まれ、現場では現場の状況に応じた短期計画を立て直し立て直しして工事を進めている、という話し。

論文のタイトルは、"Is construction project planning really doing its job?"(Laufer & Tucker, 1987)*2。かなり古いけど、計画の本質的な問題に関わることなので、状況は今でも大きくは変わっていないんじゃないかと思う。 

なお、本論文が言っている「建設」がどういう建設なのか、 説明がないので分からないが、アメリカの大手企業6社のマネジャーやプランナーと本論文の内容について協議したことが報告されており、謝辞にベクテル石油*3とガイ・F・アトキンソン(カリフォルニアの土木建設会社)*4の名前があがっている。

こういった会社の建設プロジェクトでは、会社が作った正式(formal)の計画が現場事務所の壁に張り出してあることが非常に多い。だが、工事は、ときには正式の計画とはまったく異なる、現場で作った非公式(informal)の短期計画によって実行される。

正式の計画が使われない理由をいくつかあげると、
・資機材の調達が計画どおりにいかない、
・多様で複雑なプロジェクトの構成要素を統合させるのが極めて難しい、
・多くの異なるレベルの意思決定のすべてに従うことがほとんど不可能、
・正式の計画は最適化を目指して作られるが、現場で求められるのは満足化*5
などの理由があげられる。

そして、もうひとつあげると、正式の計画は管理(control)を目的としているが、現場では実行(execution)が最重要課題である、という齟齬がある。

つねに管理されているという思いは、現場のマネジャーたちを苛立たせる。最前線に立つ現場監督たちは、昨日の問題の報告書作りに追われ、今日・明日の作業に集中できない。来週の計画を立てるよりも、先週起こったことを正当化する理由を考えることにエネルギーを使ったほうが得策だということになる。

この管理の偏重は、現場で作られる短期計画にも悪影響を及ぼす。短期計画を、望ましい未来の創造に向けた前向きの計画(prospective planning)ではなく、過去の決定によって生じた問題に対応するための後ろ向きの計画(retrospective planning)にしてしまう。

こうして、現場のマネジャーたちは正式の計画を無視するようになり、皮肉なことに、正式な計画が意図した管理もできなくなる。そして、意図したこととは逆の現象が起こる。計画と現状がどんどん乖離していくため、仕方なく、正式の計画を現状に合わせて変更することになるのである。

そして、「計画が終わったら、計画書は机の引き出しにしまっておけ。それでも90%の利潤はあげられる」という格言が建設業界で囁かれることになる。

ここには、計画に関する本質的な問題が横たわっている。計画は「未来の予測」なのである。計画は「予測し備えること」(Ackoff, 1983)*6である。しかし、誰もが知っているように、予測ははずれる。標的が遠くなればなるほど、予測ははずれる。したがって、計画が通用するのは、ごく近い未来(now or soon)までなのだ。

 

長くなったので、論文紹介はこれくらいにしておく。

ひとつ追加しておくと、なぜ予測ははずれるかというと、「未来を読む水晶玉は存在しない」(平鍋・野中, 2013, p.57)*7からだ。

この論文には、計画が予測であること、人間の合理性には限界があり予測(計画)ははずれること、そのため現場は漸増的な短期計画で事業を進めていること、計画は最適化ではなく満足化を目指して作成されること、等々、本ブログで今後とりあげようと思っているテーマの多くが盛り込まれていて、ちょっとびっくりした。

1980年代末のアメリカの建設業界の様子も具体的に描かれていて、なかなか面白い。今でもわれわれのまわりにこういう状況あるよなあ、と思ってしまう。

他にも、PERT/CPM(クリティカルパスを求めて最短所要日数を算出するスケジューリング手法)が、本論文が書かれた1987年当時ですでに30年にわたってもちいられてきていたが、その効果はごく限られたもので、ある調査によると、その成功率は15%だったことなどが報告されている。

とても面白い論文なので、興味のある方はどうぞ。ネットからダウンロードできます。

 

ということで、閑話休題
次回は本筋にもどって、H. サイモンの限定合理性の話しをします。
また抽象的な話しです。だって、PMを哲学するんだから。
では、また。

*1:アポロ計画に住民はほとんど関わってこないが、インフラ建設に住民は大いに関わってくるので、建設プロジェクトは工学系プロジェクトの最右翼ではないのかもしれない。建設にもいろいろあるので一概には言えないが。

*2:Laufer, A. and Tucker, R. L. (1987). “Is costruction project planning really doing its job? A critical examination of focus, role and process,” Costruction Management and Economics, 5:3, pp.243-266.

*3:Bechtel Petrolium Inc.

*4:Guy F. Atkinson Co.

*5:最適化(optimizing)と満足化(satisficing)は限定合理性に関連してH. サイモンが提起した概念である。詳しくは、次回、限定合理性の話しのなかで説明する。

*6:Ackoff, R. L. (1983). "Beyond prediction and preparation," Journal of Management Studies, Vol.20, pp.59-69.

*7:平鍋健児・野中郁次郎(共著)(2013)『アジャイル開発とスクラム:顧客・技術・経営をつなぐ協調的ソフトウェア開発マネジメント』翔泳社.