プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画7:行動経済学

さて、人間の合理性は限定的であるという前提を受け入れると、つねに経済合理的な行動を行なう「経済人」(ホモ・エコノミカス)を前提としてきた伝統的経済学は、根底から揺るがされることになる。

すでに何度か経済人には言及してきたが、ここで改めてその定義を見ると、経済人とは以下のような人間である(山口ほか, 2020)*1

  • 合理的である。
    自分が利用できる情報をすべて駆使して、自分の効用を最大化する行動を選ぶ。
  • 自制的である。
    自分をコントロールし、一度決めた行動を将来においても覆さない。
  • 利己的である。
    自分の行動を決定するに際して、自分の利得のみを考える。

もう少し砕けた表現をすると、以下のようになる。

「経済人というのは、超合理的に行動し、他人を顧みず自らの利益だけを追求し、そのためには自分を完全にコントロールして、短期的だけでなく長期的にも自分の不利益になるようなことは決してしない人々である。自分に有利になる機会があれば、他人を出し抜いて自分の得となる行動を躊躇なくとれる人々である。」(友野, 2006)*2

従来の標準的な経済学は、この"全知全能の神のような"*3人間像を前提としてその理論を構築してきた*4
これに対して、限定合理性の概念を提起したことにより、H.サイモンは、伝統的経済学がよって立ってきた諸前提を根底から揺さぶったのであり、この経済学に対する"反逆"*5ノーベル経済学賞が贈られたのである。

 

だが、それによって経済学がただちに変化することはなかった。その理由として、サイモンが限定合理性を提唱したのとほぼ同時期に、人間の行動を定量的にあつかう一般均衡理論が発表されたこと、限定合理性や満足化が概念的・理念的なものにとどまっていて、定式化やモデル化が難しかったこと、満足化と最適化とで結果として得られる行動の差異は大きくないと考えられたこと、などがあげられる(中山, 2012, p.1-528)*6(友野, 2006, p.32)。
ほかにも様々な理由が指摘されているが*7、ここでは、のちに行動経済学をうみだす立役者のひとりとなったリチャード・セイラー(Richard Thaler)の解説を見てみよう。

セイラーは、当時の経済学者がサイモンを無視したのは、限定合理性を「事実だが、重要ではない」と考えたからではないかという。そもそも経済学のモデルが正確でないことは経済学者もわかっていた。だから、こうしたモデルが生み出す予測にエラーが含まれているとしても、モデルの式に「誤差項」を付け加えれば対処できた。「エラーがランダムに発生するのであれば、つまり、高すぎる予測と低すぎる予測が同じ頻度で現れるのであれば、エラーが互いに打ち消しあうので、何の問題もない。だったら限定合理性が生み出すエラーは無視してもかまわない。さあ、完全合理性モデルに戻れ! 経済学者はそう考えたのだった」(セイラー, 2019, pp.52-53)*8

だが、こうしたエラーはランダムには発生しない。人間は、ただでたらめに非合理なのではない。人間の認知には一定の偏りがあるのだ。偏りが一定しているということは、その偏りは予測可能だということである。そう、人間は「予想どおりに不合理」(ダン・アリエリー)*9なのだ。こうしたことを指摘し、経済学に対して心理学からアプローチをはかり、行動経済学をうみだしたのが、ふたりの心理学者、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)とエイモス・トヴェルスキー(Amos Tversky)である。

 

経済学の分野で人間の不合理性に本格的に注目が集まったのは1970年代後半以降で、そのきっかけとなったのが、「不確実性下における判断:ヒューリスティックスとバイアス」(1974)*10や、「プロスペクト理論:リスクのもとでの決定」(1979)*11等の論文に代表される、カーネマンとトヴェルスキーの研究だった。

ヒューリスティックは、ギリシア語のユーレカ(発見した!)を語源とする。確実ではないが、だいたいはうまく問題を解決できる、直観的で発見的な方略のことで、セイラーは、「"経験則"のかっこいい言い方」*12だと言っている。代表的なヒューリスティックには、利用可能性ヒューリスティック、代表制ヒューリスティック、係留(アンカリング)と調整ヒューリスティックがある。ちなみに、ヒューリスティックとは反対に、手順を踏んで厳密な解を得る方法をアルゴリズムという。

ヒューリスティックは直観的・経験的なものなので、しばしば間違いを犯す。このヒューリスティックによって起こる判断ミスをバイアスと呼ぶ。典型的なバイアスには、利用可能性ヒューリスティックから生じる「連言錯誤」や「後知恵バイアス」、代表制ヒューリスティックから生じる「少数の法則」や「ギャンブラーの誤謬」、係留と調整ヒューリスティックから生じる「アンカリング効果」などがある。

プロスペクト理論は、人間の不合理な行動には一定の規則性があるとの理解のもと、その規則性を理論化したものである。プロスペクトは、予期とか見込みという意味だが、カーネマンによると、ある事情から、あえて特に重要な意味をもっていない名称にした*13とのことなので、プロスペクトという言葉にこだわる必要はない。

ここから先は、行動経済学の内容の話しになるので、本ブログの範囲をこえる。行動経済学に関心のある方は、さまざまな書籍や文献が発行されているので、それらを参照願いたい。

やがて、カーネマンとトヴェルスキーという心理学者のもとに、セイラーという経済学者が加わり、心理学や社会学の知見を取り入れた経済学として、行動経済学が体系化されていった。カーネマンとトヴェルスキーの功績に対して、2002年にノーベル経済学賞が授与されたが、トヴェルスキーは1996年に59歳という若さで死去したため、カーネマン単独の受賞となった。セイラーもまた、やはり行動経済学の発展への寄与に対して、2017年にノーベル経済学賞を受けた。カーネマンとトヴェルスキーに関しては、心理学者にノーベル経済学賞が授与されたことになる。

 

だいぶ長くなったので、今回はここまでとする。
次回は、行動経済学の話しからプロジェクトマネジメントの話しにもどる、その道筋を簡単に再確認することとしたい。
そして、次々回は、プロジェクトマネジメントに対して心理学的アプローチをはかったゴールドラットの例を見ることとする。

今回以降、少し更新の頻度をあげていこうと思っています。そのために、生活のリズムや仕事のやり方を少し変えました。

では、また。

*1:山口裕幸ほか(2020)『産業・組織心理学』放送大学.

*2:友野典男(2006)『行動経済学―経済は「感情」で動いている』光文社新書.

*3:「この全知全能モデルの見解は、恐らく、神の知性のモデルとしては役立つが、人間の知性のモデルとしては間違いなく役に立たない。」(サイモン, H.(著)、佐々木恒男, 吉原正彦(共訳)(2016)『意思決定と合理性』ちくま学芸文庫, p.64)

*4:経営学者は非常識的なほどの全能の合理性が経済人にあるとしている。経済人は完全で矛盾のない選好体系をもっており、それによって、彼にとって開かれている代替的選択肢から選択することがいつも可能になっている。さらに、彼はいつも、これらの選択肢がどういうものであるかを完全に知っており、どの選択肢がもっともよいか判断するために行なうことのできる計算の複雑さに関する制約はなにもない。しかし、それは、血と肉をもった人間の現実の行動ないしは現実に起こりうる行動とは、まったくといってよいほど無関係なのである。」(サイモン, 2009, p.135; 1989, p.27)
ちなみに、社会学は、有機体が自然環境の変化になかば機械的に反応するように、人間は社会環境の変化になかば機械的に反応すると仮定することによって、その反応パターンをみいだそうとした。このことを揶揄して、エスノメソドロジー創始者ハロルド・ガーフィンケルは、そのように仮定された人間のことを「社会学者の社会に住む人間」とよんだ*。この言葉を借りれば、経済人は「経済学者の社会に住む人間」といえそうだ。
* Garfinkel, H. (1967). "Studies in Ethnomethodology," Englewood Cliff, NJ: Prentice-Hall, p.68.

*5:サイモン, 1989, p.1 訳者まえがき

*6:中山晶一朗(2012)「サイモンの限定合理性とプロセス記述:土木計画へのインプリケーション」『土木学会論文集D3』Vol.68, No.5, pp.1-523~1-538.

*7:中山(2012)は、合理的選択理論を擁護する理由として、1) 現実近似性、2) 理論整合性、3) 簡便・明快性、4) 利便・有用性、5) 応用性、6) 優位性、7) 広範な合意・理解の7点をあげている。(中山, 2012, p.1-531)

*8:セイラー, R.(著)、遠藤真美(訳)(2019)『行動経済学の逆襲(上)』ハヤカワ文庫, 早川書房.

*9:アリエリー, D(著)、熊谷淳子(訳)(2013)『予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ハヤカワ・ノンフィクション文庫, 早川書房.

*10:Tversky, A. and Kahneman, D. (1974). "Judgement under Uncertainty: Heuristics and Biases," Science 185, No.4157, pp.1124-1131.

*11:Kahneman, D. and Tversky, A. (1979). "Prospect Theory: An Analysis of Dicision under Risk," Econometrica, Vol.47, No.2 (Mar., 1979), pp.263-291.

*12:セイラー, 2019, p.50

*13:プロスペクト理論ははじめ「価値理論」と名付けられていた。だが、カーネマンによると、「『価値理論』だと誤解を招くおそれがあるので、あえて何の意味もない名称をつけることにした。もしもこの理論が有名になるようなことがあるとすれば、そのとき初めて意味を持つような言葉のほうがいいだろうと考えた。それで『プロスペクト』にした」のだそうである。(セイラー, 2019, p.57)