プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画13:計画と状況的行為(1)

さて、ここまで、合理主義的計画の不合理さを、サイモンの限定合理性とゴールドラットの制約理論の観点から見てきたわけだが、最後に、"状況論"の観点から見て、合理主義的計画の話しを終わることにしたい。ここで参照するのは、ルーシー・サッチマンの "Plans and Situated Actions" (1987) *1(邦訳『プランと状況的行為』(1999年)*2)である。

状況論(situated perspective)は「人間は状況に規定されている」という見方。すなわち、認知、心理、発話、行為、学習などなど、人間のさまざまな営みは、なんらかの類型や特性にもとづいているのではなく、そのときどきの状況に対応して決定されているとする考えかたの"総称"である。総称というのは、ギブソン生態学ヴィゴツキーの心理学、サッチマンのエスノメソドロジー、レイヴ&ウェンガーの教育学など、それぞれにルーツが異なるからである*3

L. サッチマン(Lucy A. Suchman)は、人類学者で、現在(2022年6月)、英国ランカスター大学の社会学部教授として、科学技術人類学の研究にたずさわっている。ランカスター大学のまえは、22年間、カリフォルニアにあるゼロックスのパロ・アルト研究所(PARC)で、AI開発にむけた人間-機械コミュニケーションの研究にたずさわっていた。そこでの成果をまとめたのが "Plans and Situated Actions" (1987) である。

同書は、認知科学*4において支配的であったプランニング・モデルに対する痛烈な批判の書となっている。
プランニング・モデルでは、人間は、まず頭のなかで計画し、その計画にしたがって行動すると考える。だから、その計画の生成過程や類型をモデル化すれば人間の行動を予想できる。予想できれば、あたかも人間とコミュニケーションしているかのような機械、すなわち「知的な機械」*5をつくることができる、と考える。
これに対して、サッチマンは、人間はそのときどきの状況に対応して行動しており、計画は、周囲の環境や人間関係などと同様、状況に対する対応を考えるための材料(リソース)のひとつにすぎない、という。同書の後半では、プランニング・モデルにもとづいて作られた「かしこい」コピー機が使用者とのコミュニケーションに失敗し破綻をきたす、いささか滑稽なプロセスが、エスノメソドロジー*6の会話分析の手法をもちいて詳細に分析される。

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(部屋のおくで立ったり座ったりしている、ジャケットをはおった人物がサッチマンだと思う。)

ということで、今回はサッチマンと"Plans and Situated Actions"(1987)の概要を紹介した。
次回は、同書の議論の中身に入る。

では、また。

*1:Suchman, A. Lucy, (1987). Plans and situated actions: the problem of human-machine communication. Cambridge: Cambridge University Press.

*2:サッチマン, A. L.(著)、佐伯胖(監訳)、上野直樹・水川喜文・鈴木栄幸(共訳)(1999)『プランと状況的行為ー人間-機械コミュニケーションの可能性ー』産業図書株式会社.

*3:レイヴ, J. ・ウェンガー, E.(著)、佐伯胖(訳)(1993)『状況に埋め込まれた学習ー正統的周辺参加ー』産業図書株式会社, p.173.

*4:認知科学(cognitive science)とは、情報処理という観点から、生体(特に人)の知の働きや性質を理解する学問です。1950年頃に、当時全盛であった行動主義心理学(behaviorism)に異を唱える形で、人工知能(artificial intelligence)とともに、いわば双子の学問として成立したと考えられています。非常に大雑把に言うと、行動主義心理学が、生体に与えられる刺激とそれに対する反応の対(連合)という外から観察可能な事柄だけを頼りに知を捉え、刺激から反応を生じさせる生体内部の情報処理という外から観察が難しい事柄に関心を向けなかったのに対して、認知科学は、このような情報処理こそが生体の知を考える上で重要だという認識のもとに生まれました。」(日本認知科学会ウェブサイト, 2022年6月21日参照)

*5:アラン・チューリング(1912年~1954年)は、人間と機械が対話をおこない、その対話を聞いた第3者が人間と機械を区別できなければ、その機械は知的(intelligent)であると判定してよいと考えた。これをチューリング・テストという。つまり、情報処理のメカニズムがどんなに異なっていても、入力に対する出力が同じであれば、それらは同じものとみなされる、ということである。

*6:アメリカの社会学ハロルド・ガーフィンケル(1917年~2011年)がみずからの研究方法を呼ぶために作った造語。「エスノメソドロジーは(中略)社会がすでにできあがった外在的で客観的な「もの」であるという見方をとらない。むしろ「あたりまえ」で自明視される日常を、文化人類学者がつねにフィールドでとる態度のようにあえて「奇妙なもの」として見るのである。それによって開かれる世界は(中略)微細で精密な意味生成の世界である。ものごとを子細に見、細かなディテールを愛することによって(中略)見えてくるものは、つねにローカルな具体的場面で世界と織り成されていく私たちの協働的実践である。」(ガーフィンケル・H他(著), 山田富秋・好井裕明山崎敬一(共訳),「エスノメソドロジー社会学的思考の解体」1987年, せりか書房, p.10.)