プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画14:計画と状況的行為(2)

では、サッチマンの「計画は状況に対応した行為を選択するための判断材料にすぎない」という主張について考えてみよう。以下、Suchman (1987) *1からの引用は、既刊の邦訳本*2によらず、本ブログ筆者の訳文をもちいる。

ついては、用語の問題だが、situated action は訳しづらい。状況に対応した行為、状況によって意味づけられた行為、状況のなかに位置づけられた行為などの意味が含まれており、ひとことでそれらすべてを包含するような訳語がないのだ。邦訳本では「状況的行為」とか「状況に埋め込まれた行為」などと訳されているが、これだと日本語だけを見ても意味がよくわからない。かといって、より適切な訳語も思いつかない。しかたがないので、ここでは、「状況に対応した行為」、「状況によって意味づけられた行為」、「状況のなかに位置づけられた行為」など、適宜、文脈におうじた訳をもちい、それらすべてを含意する場合は「状況的行為」と呼ぶことにする。
なお、サッチマンによる situated action の説明は以下のとおりである。

「situated actionという用語は、いかなる行為も、本質的に、物質的・社会的な周辺状況によって決まるということを強調するものである。行為を、周辺状況から切り離して抽象化し、合理的な計画として描くのではなく、本書のアプローチは、人々が、知的な行為をおこなうために、周辺状況をどのように活用しているかを研究するものである。」(Suchman, 1987, p.50)

ところで、うえであげた、①状況に対応した行為、②状況によって意味づけられた行為、③状況のなかに位置づけられた行為は、行為が状況的であることの3つの様態をしめしている。たとえば、ある朝、あなたは会社にむかって歩いている。するとむこうから見知った顔の人物が歩いてくる。そこであなたはかるく片手を上げて「よっ!」と声をかけた。これは①状況に対応した行為である。見知った顔の人物にであったという状況に対応して行為したのである。ところが、どこかで見た顔だと思ったその人物は社長だった! この状況によって、あなたの行為は「平社員にあるまじき無礼」という意味をおびる。②状況によって行為が意味づけられたのである。その結果、「あいつは何者だ」ということになり、社内で無礼者をさがしだして処分するという状況が発生する。すなわち、あなたの行為は③無礼者をさがしだすという状況を構成する要素となり、状況のなかに位置づけられたのである。へたくそなたとえで恐縮だが、行為が状況的であるというのはこういうことであり、われわれの行為はすべて、このようなかたちで状況のただなかにある。*3

それでは、Suchman (1987) の議論をみていこう。以下に括弧でしめすページ番号は同書のページ番号である。

同書は、前々回にふれたトラック島民の航海の話しから始まる。
ヨーロッパの航海士は海図にえがかれた計画すなわち航路をたどることで航海する。彼の努力はつねに航路上、すなわち計画上にとどまることに向けられる。予想外のできごとがおこったら、計画を修正し、修正された計画にしたがって航海はつづけられる。それに対して、トラック島民の航海は目的地から始まる。彼らは目的地に向けて出発し、発生する状況にそのつど対応する。聞かれれば、彼らはいつでも目的地をさし示すことができるが、航路をさし示すことはできない。「注目すべきは、あらかじめ準備された計画なるものは明確なかたちではどこにも存在しないということである。むしろ、彼らの航海の原則は環境とのその場その場の相互作用にあるらしいのだ」(p.187)。そして、サッチマンは、行為はすべて具体的で身体的なものだが、計画は抽象的なものだという。「一方、ヨーロッパ人の計画は、航海の普遍的な原則からみちびきだされ、彼の状況のさしせまった事態とは本質的に別のものである」(p.viii)。

そして、トラック島民の話しにつづけて、同書全体の主張が簡潔明瞭に示される。いわく、「確かに、行為についてどう考えるかということと、実際にどう行為するかということのあいだには無視できない関係がある。しかし、どのように計画されようと、目的的行為はさけがたく状況的なのだ。状況的行為というのは、たんに、特定の具体的な状況の文脈においてとられる行為のことをいう。この意味で、わたしたちはトラック島民のように振る舞わないではいられない。なぜなら、わたしたちの行為の状況はけっして完全には予想できないし、わたしたちのまわりでつねに変化しているからである。むしろ、計画は、せいぜいのところ、そもそもアドホックな行為のためのささやかな判断材料にすぎないとみなすべきである」(pp.viii-ix より筆者編集)。

このあとさらに、行為が状況的であることの例として、カヌーで急流をくだる話しや、遺伝学者の実験の話しがあげられるが、その紹介は次回にまわす。今回はここまでとする。

では、また。

*1:Suchman, A. Lucy, (1987). Plans and situated actions: the problem of human-machine communication. Cambridge: Cambridge University Press.

*2:サッチマン, A. L.(著)、佐伯胖(監訳)、上野直樹・水川喜文・鈴木栄幸(共訳)(1999)『プランと状況的行為ー人間-機械コミュニケーションの可能性ー』産業図書株式会社.

*3:この段落の説明は、状況的行為に関する本ブログ筆者の理解で、サッチマンがこのように説明しているのではない。