プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画16:計画と状況的行為(4)

Suchman (1987) の実践的含意は、認知科学のプランニング・モデルに対する批判にあった。プランニング・モデルは、計画を、あらかじめ想定された目的を達成するために必要な一連の行為の流れをしめしたものとみなす(p.28)。これは、われわれの多くが「計画」と聞いたときに思い浮かべるイメージである。そして、本ブログのこれまでの議論にひきつけると、これは「合理主義的計画」である。これに対して、サッチマンは、計画はそのようなものではない、という。

「プランニング・モデルは、計画を、行為者の頭のなかにあって彼または彼女の行動を方向づけている何か、としてあつかう。それに対して私は、プランニング・モデルにもとづいて作られた人工物は計画と状況的行為を混同していると論じ、それにかわって、計画を、行為をもっともらしく説明する、行為の先行条件と結果の記述とみなすことを提唱する。行為について語る方法として、計画は、状況的行為の実際の進行を決定するものでもなければ、適切に再構成するものでもない」(p.3)。

ここで、計画が行為の結果を記述するとか再構成するといわれているのは、計画が、将来において何をすべきかを説明するだけでなく、過去において何が起こったかを遡及的に説明する働きを負っていることを意味している。つまり、行為を振り返り、計画というフィルターをとおすことによって、状況対応的・文脈依存的な行為をノイズとして捨て去り(p.102)、行為を抽象化し、計画どおりにできたとかできなかったといった振り返り(評価)の材料にしたり、その後の行為(プロジェクト)の計画の材料にしたりする、ということである。(すなわち、PCMの使い手のみなさん、われわれがプロジェクト評価でやっていることです。)

一方、理論的含意はさまざまあるが、ここでは研究アプローチに関する提言を見ておきたい。サッチマンは、状況的行為を、行為者間の、または行為者と環境のあいだのそのときどきの相互作用をとおして起こる創発特性(emergent property)と考えることを提唱する(p.179)。創発特性とは、複数の要素からなるシステムにおいて、要素間の相互作用により、個々の要素がもっていない特性、個々の要素の総和にとどまらない特性が現れることをいう。つまり、ある状況のなかで、行為者をふくむさまざまな環境要素が時々刻々相互に作用しあい、個々の要素を超えたなにかが時々刻々うみだされる。われわれの行為はそういうものだというのである。

「この行為の創発特性は、行為があらかじめ定められてはおらず、かといってでたらめでもないことを意味する。だとすれば、状況的行為に関する基本的な研究目標は、行為の構造と物理的・社会的環境があたえる判断材料やその制約との関係を明らかにすることになる」(p.179)。

ここで思い起こされるのは、行動経済学の洞察である。すなわち、人間は限定合理的であるがゆえに経済合理的な行動をとらない。ただし、ただでたらめに行動するのではなく、一定の偏りをもって行動する。その偏りを明らかにし体系化してうまれたのが行動経済学だった。
かたや、状況的行為論の洞察はこうである。すなわち、人間の行為は抽象的・合理的な計画からうまれるものではない。ただし、人間はただでたらめに行為するのではなく、環境との創発的な関係において行為する。それゆえ、行為と環境からなる創発特性を明らかにすることによってこそ、人間の行為のありようは解明されなければならない。
このふたつのアナロジーをプロジェクト計画にあてはめることが、本ブログの当面の目標だが、今回は両者の類縁性を指摘するにとどめ、プロジェクト計画の議論はのちの回にゆずる。

最後に、同書の結論を紹介して終わりとしたい。
「以上の事例から、行為は、環境との相互作用からうまれるものであり、計画にもとづいてなされるものではないことがわかる。計画は過去の行為の抽象的表現にすぎないため、行為にさいして参考にはなるが、行為をみちびくものではない。計画の機能は、環境のなかで起こってくるさまざまなことにたいして、あるものは利用し、あるものは避けることが可能になるよう、われわれを手助けすることである。
計画はどこまでも緻密につくることができる。しかし、計画が上記のようなものであれば、計画はその程度に緻密であればよい、ということになる。状況を完全に予想することはできないし、状況はつねに変化しているため、計画は本来あいまいなものである。しかし、このあいまいさは計画の欠点ではない。このあいまいさは、そのつど偶発的に起こってくる事態にたいして、そのつど対応して行為が決定されるという事実にこのうえなくふさわしいものである。そうであれば、われわれがなすべきことは、計画を精緻化することではない。計画は過去の行為の抽象的表現であると理解すること、計画がどのような判断材料であるかを理解すること、そして、どうすれば計画と環境が生産的な相互作用の関係にいたりうるかを考えることである」(pp.185-188 より筆者編集)。

サッチマンは、われわれの計画観の根底からの見直しをせまっているのである。

 

以上でサッチマンの「計画と状況的行為」は終わりとする。
次回は、限定合理性をとなえたH.サイモンが計画についてどのように考えていたのかを見て、合理主義的計画批判の最後としたい。

では、また。