プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画17:H. サイモンの計画論

ここまでの議論は、H. サイモンの限定合理性を出発点として、E. ゴールドラットの制約理論によって計画が必ず遅れることを確認し、L. サッチマンの状況的行為論によって計画が状況判断の材料にすぎないことを見てきた。

今回は、その出発点にもどり、限定合理性をとなえたサイモンが「計画」をどのように見ていたのかを確認する。結論を先に紹介してしまうと、要は、人間の合理性がおよぶ範囲のごく短期の計画は有効だが、それより遠い未来に向けた計画は「期待」にすぎない、というものである*1

なお、今回おもに引用する『組織と管理の基礎理論』(1977年)*2では、サイモンは計画を「将来についての提案、代替的提案の評価、およびこれらの提案の達成方法にかかわる活動」(サイモン他, 1977, p.361)と定義している。つまり、これからおこなう活動(提案の達成方法にかかわる活動)にとどまらず、その事業をおこなう意義や目的(将来についての提案)と代替案との比較(代替的提案の評価)をふくめ、広く定義していることをことわっておく。

いきなりだが、引用。「われわれが計画しようとしているタイム・スパンが長ければ長いほど、その過程は困難になる。もしわれわれが今日ないしは明日のためにのみ意思決定をするのなら、われわれはわれわれの選択を既知の条件および現在の状況に適合させることができる」(サイモン他, 1977, p.364)。つまり、冒頭に書いたとおり、われわれの合理性がおよぶ範囲のごく短期の計画は有効だが、それ以上の未来に向けた計画の実行は難しいというのである。

「それではなぜ組織はその決定を危険かつ不確実な将来にまで及ぼそうとするのであろうか」(同, p.364)。なぜなら、「組織が計画を余儀なくされるのは、主として、今日なされた決定および今日実行された活動が明日利用しうる選択肢を限定するからである」(同, p.364)。たとえば、新しい汚水処理システムを建設する場合、それはたんに明日の汚水を処理するためではなく、そのさき数十年にわたる汚水処理のためであり、そのために組織は長期にわたる計画を立てなければならなくなるのである。

これは埋没費用(サンクコスト)(すでに支払ってしまい、取り返すことのできない金銭的・時間的・労力的なコスト)*3の問題である。すなわち、設備への過大な投資による将来における無駄や、過小な投資による将来における追加投資を考慮すると、長期的な計画がどうしても必要になるのである。そして、埋没費用をうまない組織の事業はまれであるため*4、組織は長期計画を重視する。

「組織が計画を重視するのは、ほとんどの場合それは不可能であるが、将来がなんらかの程度の正確さでもって推測しうると確信しているからではなく、あてずっぽうや偶然に代わりうる唯一の代替案として将来はできるだけ正確に予測されなくてはならぬ、と考えているからである」(同, p.365)(下線は原著)。

だが、残念ながら、すでに見たとおり、人間の合理性は限定的であり、問題は悪構造問題であるため、問題解決は、大きな悪構造問題を人間の合理性で対応可能な小さな良構造問題に分割し、少しずつ、ひとつずつ、解決していくしかないのである。にも関わらず、われわれは長期計画をたてる。そして失敗する。

「多くの計画が有効でなく、その主たる理由が計画者が自ら設定した問題の困難さを認識しそこなうことにあるということは疑いの余地がない。(中略)計画は、計画者が問題の大きさを認識する程度、および計画によってなにをなしうるかについて適当な謙虚さを持って出発する程度に比例してのみ成功するように思われる。」(同, pp.385-386)。つまり、成功するのは短期計画なのである。

「計画は、おそらくそれが行為にほんの少し先立つ思考に密着してつくられるとき、もっとも成功するであろう。人は絶えず自己の満足に対する障害を認識し、それらを克服する方法を工夫する。彼は一つの障害を克服するや否やもう一つの障害を認識する。彼の注意はこれらの障害の認知によって統制される。また、彼はそれらを認知すると、それらを打破すべく行動を起こす。この短期的な計画および行為は、おそらく人間の計画が最大の成功を納めうる領域であろう」(同, p.386)。それゆえ、長期にわたる詳細な計画をたてることに意味はない。

「目標を達成しあるいは障害を克服するために、実際の行動についての詳細な青写真をつくるのは明らかに無意味である。なぜなら、われわれは現在それらの具体的な目標を持っていないし、障害がどのようなものであるかを知らないし、またその中において将来の行動がなされる諸条件の性質を知らないからである」(同, p.387)。すなわち、サイモンも、サッチマンと同様、われわれがなすべきことは計画の精緻化ではないといっているのである。サイモンは、計画を精緻化することでわれわれは将来を「期待」しているにすぎない、という。

「もちろん、行動している主体は、彼の行動から生ずる将来の結果を直接的に知ることはできない。もし、彼が知ることができると仮定するならば、ある種の逆の因果関係がここで働いていることになる――将来の結果が現在の行動の決定要因になってしまうであろう。彼がしていることは、将来の結果についての期待である」(サイモン, 1989, p.365)*5(下線は原著)。

まとめると、冒頭で紹介したとおり、人間の合理性がおよぶ範囲のごく短期の計画は有効だが、それより遠い未来に向けた計画は「期待」にすぎない、ということになる。

 

以上、サイモン、ゴールドラット、サッチマンをつうじて合理主義的計画の限界をみてきた。1年かかった。これだけ詳細に見れば十分だろう。ということで、次回から、反合理主義的計画ともいうべき、漸増主義的計画を見ていくことにする。

次回は、合理主義的計画から漸増主義的計画への橋渡しとして、本ブログのこれまでとこれからを概観しておきたいと思う。ある人から、「計画を否定されても困る。計画なしでどうしろというのか」という質問を受けた。そうだった。筆者の頭のなかには全体の見取り図があるが、それがない読者にとっては、今なにを見せられているのかわからないだろう。なので、次回は本ブログのこれまでとこれからについてざっと概観してみようと思う。

では、また。

*1:経営学者の原田勉氏がアップルを訪ねた際の話し。アップル側案内者の「当社では、3ヵ月計画を事業計画といい、1ヵ年計画を中期計画と呼ぶ」という説明に対して、原田氏は、「それでは、日本企業で一般的な3ヵ年計画や5ヶ年計画といった中期計画は何と呼ぶのか」と尋ねた。それに対する返答は、「それはドリームと言います」というものだったそうである。(『OODA LOOP(ウーダループ)』C. リチャーズ著、原田勉訳、2019年、東洋経済新報社、p.318)
また、2023年8月24日(木)の朝日新聞朝刊で、食品大手の「味の素」が、3年おきに策定していた中期経営計画の廃止を決定したことが報告されていた。インタビューに対して藤江社長は、「(計画期間の)3年の間に経営環境は大きく変わり、計画の意味が薄れることがある。計画策定に使う力を違うところに使った方がいい」と語っている。同記事中の一橋大学の円谷昭一教授によると、「3~5年間の数値目標を設定する中期経営計画は日本企業に見られる独自の慣行」とのことである。

*2:Simon, A. H., Smithburg, D. W., and Thompson, V. A. (1950). Public Administration. New York: Alfred A. Knopf Inc. 邦訳:サイモン, H.A., スミスバーグ, D.W., トンプソン, V.A.(共著)、岡本康雄・可合忠彦・増田孝治(共訳)(1977)『組織と管理の基礎理論』ダイヤモンド社.

*3:Sunk cost:投資、生産、消費などの経済行為に投じた固定費のうち、その経済行為を途中で中止、撤退、白紙にしたとしても、回収できない費用をさす。経済学の概念であり、「埋没費用」と訳される。個人の株式投資、企業の新規プロジェクト、政府の大型公共事業など広範な経済活動を継続するのか、それとも中止するのかを判断する際などに使われる。本来、サンクコストは回収できない費用なので、将来の意思決定には影響しない。しかし一般に人間は投下額が大きいほど、もとを取り戻そうとする心理が働き、経済行為を中止できない傾向がある。たとえば、イギリス・フランス政府共同の超音速旅客機「コンコルド」開発計画では、開発途上から赤字になることがわかっていたが、投資額が巨額に上ったため開発をやめられなかった。(小学館日本大百科全書(ニッポニカ)」より。)

*4:個人の事業でも埋没費用をうまないものはまれである。買い物、旅行、プロ野球観戦、ラーメン屋での行列などなど、いずれも埋没費用をうむ。

*5:サイモン, H.A.(著)、松田武彦・高柳暁・二村敏子(共訳)(1989)『経営行動:経営組織における意思決定プロセスの研究(第3版)』ダイアモンド社.