プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画19:漸増主義(インクリメンタリズム)(1)

ということで、ここからは漸増主義的計画をみていく。
今後の流れとしては、リンドブロムの漸増主義、クインの理論的漸増主義、エツィオーニの混合走査法の順で、漸増主義的計画の基本的な考え方を確認し、その後、アジャイル、OODA(ウーダ)、RRI/PDIAといった具体的な計画手法をみることとする。

まずは、チャールズ・リンドブロム(Charles E. Lindblom、1917年2018年)の論文「The Science of "Muddling Through"  」(1959年)をみる*1。Muddling through は、字面からわかるとおり、泥(mud)に足をとられながら、どうにかこうにかして切り抜ける、という意味である*2

リンドブロムは、従来、規範として合理的・総覧的(synoptic)におこなわれるべきであり、建前上はそのようにおこなわれているとされてきた行政の政策立案が、現実には部分的な修正や変更を繰り返す漸進的*3なプロセスであることを明らかにした。そして、実はこの漸進的プロセスこそが政策の合理性を確保しているのだと主張した。

合理主義的政策立案プロセスは次のようなものである*4

1.実現すべきすべての価値(完全雇用、事業収益など)をリストアップする。
2.これらの価値を最大化しうる政策をすべて洗い出し、それぞれの政策を実施した場合の成果(outcome)を特定し、個々の政策の概要をかためる。
3.これらの政策を一定の比較基準をもちいて比較し、諸価値の達成度が最大になる政策を選ぶ。*5

リンドブロムは、このようなアプローチは、人間が持ち合わせていない認知能力や情報を前提としており、ごく単純な問題に関してはいざしらず、複雑な問題に適用するのは不可能だと断じた*6

実際のところ、リンドブロムの観察によると、行政官はこのような方法で政策を立案していないし、行政機関は職員にそのようなことを期待していない。現実の政策立案は、意識的か無意識的かに関わりなく、典型的には、以下のようなプロセスをたどる*7

1.現実の差し迫った価値を残し、それ以外の価値は無視する。残された価値については比較考量をおこなわない。
2.これらの価値を実現するための政策を数案*8立案する。これらの政策案は、立案者の過去の経験や知見からその結果が予見できる程度に小さなものである。
3.これらの政策によって実現される価値と、それを実現するための手段を一体のものと考え、その実行可能性を比較し、最終案を選ぶ*9

このようにして選択された政策は、小さな部分的な改善をめざすものであるため、状況や要請の変化に応じて適宜、改訂・更新される。すなわち、このアプローチは小さな政策による小さな改善を終わることなく継続していくアプローチなのである。すなわち、現実に足をとられながら、一歩一歩、どうにかこうにか進めていくような、muddling through なプロセスなのである。

上記のとおり、合理主義的アプローチは人間の能力をこえた理想形であり、実行不可能である。にもかかわず、完全合理的な経済人を前提とした経済学がそうであったように、行政学においても合理主義的アプローチが規範とされてきた。そして、さまざまな分析・計画手法が完全合理性を前提に考案された。すなわち、オペレーションズ・リサーチ、統計的意思決定理論、システム分析、PERT*10などなど*11

さて、ここまでは現状分析である。論文の後半は、現実において意識的・無意識的におこなわれている漸増主義的アプローチを理論化・体系化する展開となる。

 

今回はここまでとする。
次回は、リンドブロムが理論化・体系化した漸増主義(インクリメンタリズム)を見る。
では、また。

*1:H. サイモンが『Administrative Behavior』で「限定合理性」の概念を提起したのが1947年なので、「Muddling Through」(1959年)が発表されたのはその12年後になる。同論文の人間の合理性の限界に関する認識はサイモンのそれにきわめて近い。しかし、サイモンへの言及はわずかに脚注2か所に見られるだけである。もう少し言及があってもよさそうに思うのだが、そのあたりの消息はわからない。

*2:英語の muddle の当初の意味は「泥の中で転げまわる」で、中期オランダ語の「泥をはねかける」の反復動詞 moddelen に由来する。(「英語語義語源事典」2004年、三省堂

*3:Incremental を漸増的と訳すか漸進的と訳すか迷っている。計画や政策の部分的修正は増分するわけではないので「漸進的」がふさわしいだろうと思う。プロジェクトも、漸増するのではなく、漸進するというべきだろう。一方で、原語の incremental(>increase)を尊重すると「漸増的」と訳すべきかとも思う。とりあえず、決心がつくまでは、文脈に応じて使い分けることとする。

*4:Lindblom, 1959, p.79

*5:これは、先にサイモンのところ(計画5)でみた、人間が真に合理的な意思決定をするための要件にきわめて近い。再掲する。
1.意思決定にさきだってすべての選択肢をパノラマのように概観できる。
2.それぞれの選択肢を選んだ場合に起こるであろう結果をすべて考慮できる。
3.全選択肢のなかからひとつを選ぶ基準となる価値体系をもっている。
そしてサイモンは、人間はこれらの要件を満たしていない、と断じた。

*6:この部分は、サイモンの良構造問題と悪構造問題の議論を思い起こさせる。

*7:Lindblom, 1959, pp.79-80

*8:原語は "relatively few policy alternatives"、つまり「比較的少ない数の政策案」。

*9:合理主義的政策立案においては、手段と目的はそれぞれ独立したものと考えられ、まず目的が特定され、次にそれを達成するための手段を考えるという、手段-目的分析がおこなわれる。しかし、実際におこなわれている漸増主義的政策立案においては、「手段と目的は一体のもので、両者は同時に立案される」という。しかし、同論文にはこれについての具体例をあげた説明がなく、リンドブロムがどのような状況を想定していたのかわからない。おそらく、人間は、なんらかの先験的価値観から目的をさだめ、しかるのちにそれを達成する手段を考えるのではなく、現実には、なんらかの利用可能な手段をみつけ、その手段によって達成可能な目的をとりあえずの目的とするという、そういう意味での「手段と目的は一体のもの」なのではないかと思われる。確認できたら、また報告します。

*10:PERTが出てきて驚いた。なお、オペレーションズ・リサーチなどとならんでPERTが挙げられたのは、「Muddling Through」(1959年)ではなく、その20年後に書かれた「Still muddling, not yet through」(1979年)においてである。

*11:「そもそも問題自体をどう特定するのかさえ一義的には語れない。合理モデルに立つ者たちは、決定を下すべき問題は所与であるとして、そのあとの計算について語るだけだが、実は問題をどう特定化するかこそ決定プロセスの第一段階なのであり、それは合理的計算からはとうてい導かれないものである」(谷聖美, 1982, p.345*)。つまり、上記の完全合理性を前提に考案された分析・計画手法が、ここで言われている「計算」である。ちなみに、問題を特定するのが難しいのは、問題が、人間とある事象との関係をいうものだからである。「雨が降らない」という事象は、農民にとっては問題だが、観光業者にとっては問題ではない。つまり、「雨が降らない」という事象それ自体は良いことでも悪ことでもない。たんなる天候の一形態にすぎない。だが、それが人間にかかわってはじめて問題となる。そして、人間にはさまざまな立場・価値観の人間がいる。だから、とくに政策のような不特定多数の人間にかかわる場合、問題を特定するのは難しいのである。
*「政策決定論の展開と課題:合理主義的アプローチの分解をめぐって(2)」, 『岡山大学法学会雑誌』32巻2号(1982年11月)