プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画24:論理的漸増主義(ロジカル・インクリメンタリズム)(3)

論理的漸増主義の具体例を見てみよう。事例はふたつ。ひとつはクインがその論文のなかで取り上げたピルキントン社の例。もうひとつは、ウォーリック大学の研究者たちが紹介したアメリカ航空宇宙局NASA)の例。論文発表年は、前者が1978年、後者が2023年。その間、45年をへだてている。

まずピルキントン社の例。以下はQuinn (1978)による。

ピルキントン・ブラザーズ社(英)は1826年にガラス製造企業として操業を開始した。1954年にフロートガラスの製法を開発。その4年後、1958年にフロートガラスを中心にすえた経営戦略を策定して事業展開をはかり、またたくまに世界の主要な成長市場を掌握した。やがて英国経済が急速に弱体化する様相をみせはじめると、ピルキントン社は海外拠点の拡張、企業買収、合弁事業の設立、新製品開発などを積極的に進めた*1。一方、社会主義の拡大とコミュニケーションの近代化が労働者やコミュニティのありかたを大きく変化させ、それに対応してピルキントン社は伝統的な労使関係や地域社会との関わり方からの脱却を模索した。これら内外の変化に対応するにつれ、会社はその規模と複雑さを増し、従来の中央集権的な組織では管理しきれなくなってきた。そのため、1960年代には組織分割をはかり、分割がいきすぎたとみると、さらなる組織再編をはかり、管理体制の変革を進めた。60年代末には、一族の相続税を軽減し、会社に柔軟な資本基盤を提供するために、株式公開を決定。1970年、株式公開直前に労働者のストライキが発生し、このストライキをきっかけに、創業家一族による家父長主義的な経営から、より近代的なプロフェッショナルによる経営への移行が加速された。

クインはこれをロジカル・インクリメンタリズムの「格好の事例(excellent example)」と呼んだ。フロートガラスが開発された当初、誰ひとりとしてこのような事業展開を予想してはいなかった。その後、ピルキントン社は、次々と巻き起こってくる内外の変化に、そのつど可能なかぎり論理的に対応し、漸進的に事業を展開してきた。杓子定規で硬直的な経営戦略は会社を破滅に導いただろう。なぜなら、「戦略は、不確実なものをあつかうのではなく、不可知なものをあつかう」*2のだから。

ここで、「計画17:サイモンの計画論」(2022年7月21日)で紹介したエピソードを思い出そう。「アップル社では3ヵ月計画を事業計画といい、1ヵ年計画を中期計画と呼ぶ」という説明を聞いた訪問者が、「それでは、日本企業で一般的な3ヵ年計画や5ヶ年計画といった中期計画は何と呼ぶのか」と尋ねたところ、「それはドリームと言う」という答えが返ってきたという話。また、味の素社が、「3年の間に経営環境は大きく変わり、計画の意味が薄れる」ことから、それまで3年おきにおこなっていた中期経営計画の策定を、2023年以降、廃止したという話。つまり、そういうことなのだ。

クインが考えたロジカル・インクリメンタリズムの姿が見えてきただろうか。次回は、ぐっと時代を下って、2023年に発表された、NASAの事業運営がロジカル・インクリメンタリズムだと指摘する論文を見る。

では、また。

*1:これが、多角化、企業分割、大規模組織改編といった、クインが「戦略サブシステム」と呼んだものである。

*2:"Strategy deals with the unknowable, not the uncertain." (Quinn, 1978, p.18)

計画23:論理的漸増主義(ロジカル・インクリメンタリズム)(2)

多くの企業の戦略は、多角化、企業分割、大規模組織改編、政府等対外関係といった個々の戦略課題に対応するなかから浮かびあがってきており、クインはこれを「戦略サブシステム」と呼んだのだった。ということで、ここでは、Quinn(1978)が詳述している4つのサブシステムのうち、多角化と政府等対外関係の2つについて見てみることにする。

多角化サブシステム
たとえば研究開発(R&D)をとおして多角化をはかる場合、まず新技術を確立し、それを経営戦略に組み込み、事業展開をはかる、というプロセスになる。

新技術の開発は、それ自体、新たな現象の発見、現象の技術化、新技術の試行、試行結果のフィードバックによる技術の改善、といった一連のサイクルが何度もくりかえされる試行的で漸増的なプロセスだ。

新技術のめどがたつと、それを経営上の柱のひとつとして位置づけ、多角化にむけた企業の転換をはかるプロセスに進む。そこで経営上の定型的・分析的なツールがもちいられることもあるが、その果たす役割は大きくない。多くの努力は、経営陣や従業員の心理や勢力関係といったことの変革にむけられる。

たとえば、ジェネラルミルズ、ピルズベリー*1ゼロックスでは、最高経営陣にむけた、リスク耐性*2の醸成、新たなエートス*3の創造を、慎重に、柔軟に、漸増的にすすめなければならなかった。なぜなら、それは「文化」の変革だからだ。このような状況のなかで、「早い時期に、公式の計画として戦略をうちだすことは、まちがいなく災厄をまねく」*4ことになっただろうと関係者は振り返る*5

政府等対外関係サブシステム
クインが調査をおこなった企業のほとんどが、戦略形成にもっとも大きな影響をあたえたことのひとつとして、政府等の外部機関との関係をあげた。しかし、それらにどのように対応したのかと問われると、いずれの企業も一貫した戦略(目標、方針、具体策からなるような)をあげることができなかった。せいぜいのところ、特定の立法措置に対するロビイングくらいで、それにしたところで、断片的で、場当たり的、まさしくインクリメンタルなものであった。

GMは、1960年代、政府がうちだした環境基準に対し、「先端技術のレベルを超えている」として、当初、公然と抵抗した。しかし、市民のなかから「スモッグは人を殺す」、「GMは世界最悪の公害企業だ」といった非難の声が高まる状況に押され、高コスト・高リスクを侵して触媒コンバーター*6を開発した。しかしその後も、技術的対応に関して「出し惜しみしている」、「嘘をついている」という声はおさまらなかった。経営者のひとりは言う。

「やったといって非難され、やらないといって非難された。なにをすればどういう反応が返ってくるかを予測することは困難だった。それで、われわれは、複数の異なるアプローチを、あちこちで、小さな規模でためしてみた。宣伝、広告、住民対応、団体対応…。うまくいけばそれを拡大し、爆弾だと思えば即座にやめた。ゆっくりと、時間をかけて。そうこうしているうちに、成功するアプローチのパターンが浮かび上がってきて、それがわれわれの戦略になった。」*7

GMにかぎらず、多くの企業において、政府等対外関係に関する戦略は、実験的な試みの繰り返しのなかから浮かびあがってくるものだった。そして、これらの試みは、情報収集、分析、試行の糸でつながっていた。クインは、この糸こそが戦略を論理的・漸増的に形成していくもの、すなわち論理的漸増主義(Logical Incrementalism)だと考えた*8

合理主義的計画策定をはばむものとして、これまで「認知限界」(cognitive limits)*9に関する議論は多くあったが、同様に重要なのは「プロセス限界」(process limits)だとクインはいう。内部関係者を啓発し、安心感を醸成し、合意を形成し、意思決定をおこなうこと。さらに、外部環境を把握し、技術的・情報的ニーズ、関係者の振る舞いと勢力関係、敵対者の動きなどを察知すること。これらすべてを一望のもとに見渡して指揮(orchestrate)することなど、事実上不可能なのだ。そして、経営者はそのことを知っている。だから、そのときどきの手持ちの情報にもとづき、可能なかぎり遅いタイミングで決断をくだし、事態をインクリメンタルに進める。見渡すことなどできない状況を見渡した気になって、完全合理的な戦略をたてることは非論理的なのだ。つまり、漸増的にすすめることが論理的なのだ。だから、漸増主義はマドリングではない、ロジカルである、ということになる。

今回はここまで。
では、また。

*1:ともにアメリカの大手食品会社。

*2:「"comfort factor" for risk taking」Quinn (1978), p.11

*3:「ethos」精神、価値観、信念、行動様式などの意。

*4:Quinn (1978), p.12

*5:変革を、大きなプロジェクトとしてではなく、小さな「提案(proposal)」として提示することには、小さいがゆえに政治的になりにくいという利点もある(Quinn (1978), p.17)。

*6:マフラーに装着し、排気ガス中の大気汚染物質を除去する装置。

*7:Quinn (1978), p.14

*8:ここのところの理路は少しわかりにくい。参考までに原文をあげておく。「But again, one sees logical incrementalism as the essential thread linking together information gathering, analysis, testing, and the behavioral and power considerations in this strategic subsystem.」Quinn (1978), pp.14-15

*9:サイモンの限定合理性やリンドブロムに代表される。

計画22:論理的漸増主義(ロジカル・インクリメンタリズム)(1)

経営学者 ジェイムズ・B・クイン(James B. Quinn, 1928-2012)は、漸増主義の立場に立ちながら、リンドブロムとは一線を画し、インクリメンタリズムは、マドリングではなく、ロジカルであると主張した(Quinn, 1978)*1。今回は、クインが提唱した論理的漸増主義(Logical Incrementalism)を見る。

クインは、企業における戦略形成プロセスを明らかにするために、1973~74年の石油危機に直面したジェネラルモーターズ(GM)、突然の国有化を迫られたエクソン、新技術の開発により劇的なチャンスをむかえたハロイド(ゼロックス)やピルキントン*2など、経営上の大転換を経験した大企業10社の、その転換期の戦略形成プロセスを調査した。

その結果わかったことは、これらの戦略形成において論点となったのは、自社のマネジメント・スタイル、政府や他団体など外部機関との関係、吸収・合併・分割・分権などの組織改革、経営陣や従業員の革新能力やモチベーションなどであり、財務分析などの数理モデルをもちいた、定型的・分析的な計画策定は戦略形成にほとんど貢献しなかった、ということである。

すでに見てきたとおり、完全合理的な意思決定をおこなうためには、意思決定にさきだって、すべての選択肢が概観され、それぞれの選択肢の結果が推察され、すべての選択肢のなかから最適なものを選ぶ選択基準をもっていなければならない。したがって、定型的・分析的な計画策定が有効なのは、これらが可能な状況、すなわち将来の予測が可能な範囲にかぎられる。実際、上記の企業においても、予測可能な範囲においては、定型的・分析的な計画策定がおこなわれ、それは有効だった。しかしそれは、予測することが困難な状況にあって、予測できる範囲において有効だったにすぎない。

では、企業はどういう対応をとったのか。
まず、これらの状況に直面して、経営者たちは性急な判断をさしひかえた。彼らは、あえて可能なかぎり判断を遅らせ、なんらかの意思決定をおこなった場合でも、意図して大まかで、形成的(formative)、暫定的で、のちの見直しに開かれたものにとどめた。初期の決定があとになって容易にくつがえせない先例となることを知っていたからである。そして、状況が進展するごとに問題を再定義し、仮説をたて、試行し、その結果をつぎの一歩に反映させるということをおこなった。IBMゼロックスのように、この「段階的プログラム計画システム(phase program planning system)」を明確に概念化し、社の公式の運営方式として位置づけた企業もあった。決定を遅らせ、曖昧にしておくことは、下位レベルの経営陣・従業員の参画、より多くの情報の収集、変革にむけた意思の醸成にも役立った。

また、いずれの企業も、多角化、企業分割、大規模組織改編、政府等対外関係といった、戦略上の個々の課題に対応し、個々の対応がやがて統合され、全体戦略が浮かびあがって(emerge)きたのだった。クインはこれらの個々の課題を「戦略サブシステム」と呼んだ。

サブシステムの詳細は次回にゆずるが、いずれのサブシステムにおいても、変革を指導する経営者は、先が見えないなかで、経営陣や従業員の心理、変革意識、リスク耐性、勢力・権力関係、組織の技術力、柔軟性、技術や市場の変化、政府等の対外関係など、じつにさまざまなことを考慮しなければならない。これらすべてを踏まえつつ、組織を統御・統率することなど、実際問題として不可能だ。そのため、経営者は、意図して、インクリメンタルなアプローチをとることになる。

今回はここまでとする。
次回は、サブシステムについてもう少し見て、そこでとられるアプローチが、マドリングではなく、ロジカルであることを確認する。

では、また。

*1:Quinn, J. B. (1978). "Strategic Change: Logical Incrementalism," Sloan Management Review, vol.20, no.1, pp.7-21.

*2:ハロイド社は、電子写真ゼログラフィ(xerography)の商品化に成功し、これにより、今にいたる乾式トナー現像による普通紙コピーが普及した(一般社団法人 日本印刷産業連合会「印刷用語集」より)。ピルキントン社は、溶かしたスズのうえに溶かしたガラスの原料を流して製造する平滑性にすぐれた透明板ガラス、フロートガラスの連続製造に成功した。現在、板ガラスとしてもっとも広く普及しているのがこのフロートガラスである(日本板硝子ウェブサイトより)。

計画21:分散的漸増主義(マドリング・スルー)(3)

リンドブロムがいう「合意形成は必要ない」というのは、正確には、合理主義的アプローチが要求するような、究極目標とそれにいたる手段のすべてについて合意を形成することは、できないし、やろうとするべきではない、ということである。それにかわって、リンドブロムは「相互調整」の重要性を強調する。

人間の限定合理性のゆえに、分析が完全に正しくおこなわれることはない。分析はつねに不完全である。そして、リンドブロムによると、政策立案における分析はつねに多かれ少なかれ分析者や意思決定者による「党派的分析」(partisan analysis)であり、偏っている。ちなにみ、谷聖美は partisan analysis を「自己中心的分析」と訳している。

分析が党派的、自己中心的でしかありえないのであれば、究極的な目標やそのための手段について合意を形成しようとするのは非現実的である。そうであれば、究極目標を一致させようとするのではなく、目の前の具体的かつ単一の政策案についてのみ合意し、それ以上のことを追求する必要はないし、するべきではない。それ以上のことは、漸増主義のシステムそれ自体がもっている調整メカニズムにゆだねるべきだとし、リンドブロムはこのメカニズムを「党派的相互調整」(partisan mutual adjustment)と呼んだ。

この相互調整は、前回みた漸増主義のプロセス、すなわち、政策の結果を後のプロセスにゆだねる、試行錯誤をくりかえす、脱落した手段や問題を復活させるといった、「みずからの主張を実現するために他者が提案する修正可能な決定を受け入れるプロセス」のなかでおのずとなされる*1。つまり、合意形成が合理主義が要求するフォーマルな制度であるとすると、相互調整は漸増主義というシステムそれ自体がもっているインフォーマルな調整メカニズムなのである。市場が「見えざる手」によって自動調整されるように、漸増主義においては政策が「相互調整」によって自動調整されるのである。

このように考えると、合意は意思決定の前提条件でも必要条件でもない、ということになる。合意は意思決定の前ではなく、後になって形成されるのである。それゆえ、漸増主義にしたがうとき、人々のあいだの価値観の相違は問題にならない。

いわば、リンドブロムは、多様な要求に対する希少な資源の配分を、システムそれ自体がもっている調整メカニズムにゆだね、そうすることで合理主義的アプローチの非現実性を克服し、実践的であろうとしたのである。そこにみられるのは、予測や分析、それにもとづく「計画」に対する深い懐疑であり、人々や集団がみずからの要求を追求するうえでおりなす相互調整に対する深い信頼である(岸田・田中(2009), p.294)。

以上で3回にわたったリンドブロムの漸増主義を終わりにする。なお、この3回の内容はその多くを谷(1982)*2と岸田・田中(2009)*3に負っているが、いちいち出典を付記すると煩雑になるので、直接的な引用以外については出典はしめさなかったことをことわっておく。

ということで、リンドブロムは muddling through を逆手にとって、その正当性を体系化したわけだが、とはいえ、漸増主義の「現状追認感」*4と、そのプロセスの「行き当たりばったり感」は否めないのではないだろうか。そのためか批判も多かった*5

このような批判を背景に、あるいは批判の一端として、J. B. クインは「論理的な」漸増主義を提唱した(クインは "logical incrementalism is not muddling" といっている)。ということで、次回はクインの論理的漸増主義(Logical Incrementalism)をみることとする。
クインのあとは、ごく少数の政策案を合理主義的に分析し、それ以外の政策案は漸増主義でいくという、A. エツィオーニの混合走査法モデル(Mixed Scanning Model)をみる。

では、また。

*1:このとおり、相互調整はなんらかの形でギブアンドテイクであり、したがって相互調整は互酬的(reciprocal)でもある。この互酬は、不等価交換を排除するものではなく、また恩恵に対する見返りの多くが将来に対する期待というかたちをとる(谷(1982), p.348)。つまり、互酬も時間的に分散(disjointed)しているのである。

*2:「政策決定論の展開と課題:合理主義的アプローチの分解をめぐって(2)」, 谷聖美,『岡山大学法学会雑誌』32巻2号(1982年11月)

*3:経営学説史』, 岸田民樹・田中政光, 株式会社有斐閣, 2009年.

*4:役所の予算編成が前年度実績をベースに増加割合を決定していることをもって漸増主義の一例とする、漸増主義に支持的でありながら、漸増主義を矮小化したような議論がある。しかしこれは同時に、漸増主義はそういう現状を容認する保守的な記述モデルにすぎないという批判をうんでいる。

*5:上記脚注4および前回の脚注4参照。

計画20:分散的漸増主義(マドリング・スルー)(2)

前回は、政策策定が、規範としては合理主義的であることが求められているが、現実には漸増主義的アプローチでおこなわれている、というリンドブロムの現状分析を見た。今回は、この現状分析をもとに体系化された、方法論としての漸増主義を見ることとする。

リンドブロムの漸増主義(インクリメンタリズム)の方法論は、前回みた合理主義批判の裏返しになっている。そこで、以下、漸増主義と合理主義を対にしてその方法論をしめす。漸増主義の部分がリンドブロム(1979)*1からの引用、括弧のなかの合理主義の部分がブログ筆者によるものである。

1.少数のなじみのある政策案に絞って分析する(可能なすべての代替案を分析するのではない)。
2.達成すべき政策目標や価値を、実際の問題の経験と一体的に分析する(あるべき姿としての目標をさだめ、それを達成するための政策を考えるのではない)。
3.目前の問題の改善を第一に考える(理想にむけた大幅かつ根底的な変更を目指すのではない)。
4.試行錯誤や修正をくりかえす(設定された目標にむかって一直線に進むのではない)。
5.代替案がもたらす結果のうち、とくに重要なものについてのみ分析をおこなう(すべての結果を分析するのではない)。
6.政策立案にあたっては、多くの賛同的関係者*2にその分析作業を分散させる(特定の政策立案者だけが政策立案をおこなうのではない)。

リンドブロムは、これを「単純化と焦点化の戦略*3」と呼び、意思決定が時間的にも空間的にも分散しているところから、このアプローチを分散的漸増主義(disjointed incrementalism)*4と名づけた。

政策立案における合理主義的アプローチがあるべき姿を示す「規範モデル」であるのに対して、リンドブロムの漸増主義は現状を説明した「記述モデル」と認識されることが多かった。そのため、リンドブロムの漸増主義は、現状を説明するには優れたモデルだが、現状を容認しているにすぎないという批判も少なくなかった*5

しかし、前回の冒頭でもふれたとおり、リンドブロムは、漸増主義的アプローチこそが政策の合理性を確保するのであり、政策立案の指針をしめす規範モデルであると主張した。すなわち、以下のようにして、漸増主義的アプローチは政策の合理性を確保するのである*6

1.現行秩序のなかでの比較的小さな変更に限定されるため、分析*7にともなう困難が小さくなる。
2.検討範囲が狭まるため、代替案に関する知識が大きくなる。
3.政策の結果を予測することが難しい場合は、その結果を無理に決めることなく、その後のプロセスにゆだね、そのなかで修正できるようにするため、現実的に実行可能な手段だけが保持される。
4.試行錯誤をくりかえすなかで脱落していった手段や問題にも、復活のチャンスが残される。
5.直前の結果が方向性をたえず検証するだけでなく、方向性を明確にするため、論理的に「誤り」を最小化することができる。
6.そうしたフィードバックの結果として、一から始める場合とは違い、探索のための多大な時間とエネルギーをついやす必要がなくなる。
7.状況の変化や時の経過にともなって次々とでてくる出来事やアイデアを、合理主義的アプローチは排除するが、漸増主義的アプローチは最良の資源として活用する。
8.それゆえ、過去の間違った決定を取り返しのつかないものにすることなく、修正することができる。
9.それゆえ、政策はつねに修正・更新され、そのたびに過去に却下された代替案や価値が復活するチャンスがある。
10.それゆえ、政策立案にさいして関係者全員の合意形成をはかる必要がない*8。なぜなら、過去に却下された代替案や価値が復活するチャンスがつねに準備されているからである。

さて、合意形成は必要ない!という衝撃の言明がなされたところで、今回はここまでとする。
次回は、合意形成不要論に関連して、漸増主義の背景をなす「相互調整論」をみて、リンドブロムの終わりとしたい。
では、また。

*1:Lindbrom, C. E. (1979). "Still muddling, not yet through," Public Administration Review, Vol.39, No.6, pp.517-526.

*2:partisan participants

*3:simplifying and focusing stratagems

*4:disjointedは、分節的(橋本(1962)*、谷(1982)*)や分割された(岸田・田中(2009)*)などとも訳されるが、ここでは分散的と訳した。というのは、リンドブロムが disjointed の説明にさいしてしばしば fragmented という言葉を使っており、分節や分割よりも、ばらばらに散らばっているイメージが強いためである。なお、disjointed は、本来、支離滅裂な、ばらばらな、ちぐはぐな、など、否定的な意味でもちいられる言葉である。Oxford Reference* は disjointed incrementalism に関して否定的な解説をおこなっている。すなわち、disjointed incrementalismは、全体を検討せず、要素を個別に検討するため、正当性に欠け(less justifiable)、そのため、サラミ政治(salami politics)と揶揄される。サラミはたいていスライスして食べるからである。
*「政策立案における官僚行動」, 橋本信之, 『年報行政研究』1986 巻 20 号, p.133-158.
*「政策決定論の展開と課題:合理主義的アプローチの分解をめぐって(2)」, 谷聖美,『岡山大学法学会雑誌』32巻2号(1982年11月).
*『経営学説史』, 岸田民樹・田中政光, 株式会社有斐閣, 2009年.
* Oxford Reference; https://www.oxfordreference.com/display/10.1093/oi/authority.20110803095721690

*5:「自由・公正・秩序(1)」, 武智秀之, 人文学報 No.281(社会福祉学13)1997, p.108.

*6:以下、岸田・田中(2009)による

*7:リンドブロムは「計算」と言っている。前回の脚注11でいう意味での「計算」である。

*8:PCMの使い手のみなさん、あるいは参加型開発の実践者のみなさん、「合意形成は必要ない!」のです!

計画19:分散的漸増主義(マドリング・スルー)(1)

ということで、ここからは漸増主義的計画をみていく。
今後の流れとしては、リンドブロムの漸増主義、クインの理論的漸増主義、エツィオーニの混合走査法の順で、漸増主義的計画の基本的な考え方を確認し、その後、アジャイル、OODA(ウーダ)、RRI/PDIAといった具体的な計画手法をみることとする。

まずは、チャールズ・リンドブロム(Charles E. Lindblom、1917年2018年)の論文「The Science of "Muddling Through"  」(1959年)をみる*1。Muddling through は、字面からわかるとおり、泥(mud)に足をとられながら、どうにかこうにかして切り抜ける、という意味である*2

リンドブロムは、従来、規範として合理的・総覧的(synoptic)におこなわれるべきであり、建前上はそのようにおこなわれているとされてきた行政の政策立案が、現実には部分的な修正や変更を繰り返す漸進的*3なプロセスであることを明らかにした。そして、実はこの漸進的プロセスこそが政策の合理性を確保しているのだと主張した。

合理主義的政策立案プロセスは次のようなものである*4

1.実現すべきすべての価値(完全雇用、事業収益など)をリストアップする。
2.これらの価値を最大化しうる政策をすべて洗い出し、それぞれの政策を実施した場合の成果(outcome)を特定し、個々の政策の概要をかためる。
3.これらの政策を一定の比較基準をもちいて比較し、諸価値の達成度が最大になる政策を選ぶ。*5

リンドブロムは、このようなアプローチは、人間が持ち合わせていない認知能力や情報を前提としており、ごく単純な問題に関してはいざしらず、複雑な問題に適用するのは不可能だと断じた*6

実際のところ、リンドブロムの観察によると、行政官はこのような方法で政策を立案していないし、行政機関は職員にそのようなことを期待していない。現実の政策立案は、意識的か無意識的かに関わりなく、典型的には、以下のようなプロセスをたどる*7

1.現実の差し迫った価値を残し、それ以外の価値は無視する。残された価値については比較考量をおこなわない。
2.これらの価値を実現するための政策を数案*8立案する。これらの政策案は、立案者の過去の経験や知見からその結果が予見できる程度に小さなものである。
3.これらの政策によって実現される価値と、それを実現するための手段を一体のものと考え、その実行可能性を比較し、最終案を選ぶ*9

このようにして選択された政策は、小さな部分的な改善をめざすものであるため、状況や要請の変化に応じて適宜、改訂・更新される。すなわち、このアプローチは小さな政策による小さな改善を終わることなく継続していくアプローチなのである。すなわち、現実に足をとられながら、一歩一歩、どうにかこうにか進めていくような、muddling through なプロセスなのである。

上記のとおり、合理主義的アプローチは人間の能力をこえた理想形であり、実行不可能である。にもかかわず、完全合理的な経済人を前提とした経済学がそうであったように、行政学においても合理主義的アプローチが規範とされてきた。そして、さまざまな分析・計画手法が完全合理性を前提に考案された。すなわち、オペレーションズ・リサーチ、統計的意思決定理論、システム分析、PERT*10などなど*11

さて、ここまでは現状分析である。論文の後半は、現実において意識的・無意識的におこなわれている漸増主義的アプローチを理論化・体系化する展開となる。

 

今回はここまでとする。
次回は、リンドブロムが理論化・体系化した漸増主義(インクリメンタリズム)を見る。
では、また。

*1:H. サイモンが『Administrative Behavior』で「限定合理性」の概念を提起したのが1947年なので、「Muddling Through」(1959年)が発表されたのはその12年後になる。同論文の人間の合理性の限界に関する認識はサイモンのそれにきわめて近い。しかし、サイモンへの言及はわずかに脚注2か所に見られるだけである。もう少し言及があってもよさそうに思うのだが、そのあたりの消息はわからない。

*2:英語の muddle の当初の意味は「泥の中で転げまわる」で、中期オランダ語の「泥をはねかける」の反復動詞 moddelen に由来する。(「英語語義語源事典」2004年、三省堂

*3:Incremental を漸増的と訳すか漸進的と訳すか迷っている。計画や政策の部分的修正は増分するわけではないので「漸進的」がふさわしいだろうと思う。プロジェクトも、漸増するのではなく、漸進するというべきだろう。一方で、原語の incremental(>increase)を尊重すると「漸増的」と訳すべきかとも思う。とりあえず、決心がつくまでは、文脈に応じて使い分けることとする。

*4:Lindblom, 1959, p.79

*5:これは、先にサイモンのところ(計画5)でみた、人間が真に合理的な意思決定をするための要件にきわめて近い。再掲する。
1.意思決定にさきだってすべての選択肢をパノラマのように概観できる。
2.それぞれの選択肢を選んだ場合に起こるであろう結果をすべて考慮できる。
3.全選択肢のなかからひとつを選ぶ基準となる価値体系をもっている。
そしてサイモンは、人間はこれらの要件を満たしていない、と断じた。

*6:この部分は、サイモンの良構造問題と悪構造問題の議論を思い起こさせる。

*7:Lindblom, 1959, pp.79-80

*8:原語は "relatively few policy alternatives"、つまり「比較的少ない数の政策案」。

*9:合理主義的政策立案においては、手段と目的はそれぞれ独立したものと考えられ、まず目的が特定され、次にそれを達成するための手段を考えるという、手段-目的分析がおこなわれる。しかし、実際におこなわれている漸増主義的政策立案においては、「手段と目的は一体のもので、両者は同時に立案される」という。しかし、同論文にはこれについての具体例をあげた説明がなく、リンドブロムがどのような状況を想定していたのかわからない。おそらく、人間は、なんらかの先験的価値観から目的をさだめ、しかるのちにそれを達成する手段を考えるのではなく、現実には、なんらかの利用可能な手段をみつけ、その手段によって達成可能な目的をとりあえずの目的とするという、そういう意味での「手段と目的は一体のもの」なのではないかと思われる。確認できたら、また報告します。

*10:PERTが出てきて驚いた。なお、オペレーションズ・リサーチなどとならんでPERTが挙げられたのは、「Muddling Through」(1959年)ではなく、その20年後に書かれた「Still muddling, not yet through」(1979年)においてである。

*11:「そもそも問題自体をどう特定するのかさえ一義的には語れない。合理モデルに立つ者たちは、決定を下すべき問題は所与であるとして、そのあとの計算について語るだけだが、実は問題をどう特定化するかこそ決定プロセスの第一段階なのであり、それは合理的計算からはとうてい導かれないものである」(谷聖美, 1982, p.345*)。つまり、上記の完全合理性を前提に考案された分析・計画手法が、ここで言われている「計算」である。ちなみに、問題を特定するのが難しいのは、問題が、人間とある事象との関係をいうものだからである。「雨が降らない」という事象は、農民にとっては問題だが、観光業者にとっては問題ではない。つまり、「雨が降らない」という事象それ自体は良いことでも悪ことでもない。たんなる天候の一形態にすぎない。だが、それが人間にかかわってはじめて問題となる。そして、人間にはさまざまな立場・価値観の人間がいる。だから、とくに政策のような不特定多数の人間にかかわる場合、問題を特定するのは難しいのである。
*「政策決定論の展開と課題:合理主義的アプローチの分解をめぐって(2)」, 『岡山大学法学会雑誌』32巻2号(1982年11月)

計画18:合理主義的計画から漸増主義的計画へ

ということで、ここまでの議論と今後の見通しを概観しておく。
ここまでの議論で、われわれは合理主義的計画の限界を確認してきた。
中俣・郡司(1992)*1によると、合理主義的計画は、ある意味で、複雑なことがらを管理可能なかたちに単純化する作業である。それゆえ、その計画は現実の不完全で過度な単純化であり、総合的でない、と批判されることがしばしばあった*2。そこで、この批判をうけて複雑化と総合化につとめると、今度は逆に、合理的な計画はますます作成困難となり、実効性もいっそうあやしくなる。中俣らはこれを「合理性についてのジレンマ」と呼んだ。
 
本ブログでは、この認識から出発して、合理主義的計画にはそもそも看過しえない限界があることを、サイモン、ゴールドラット、サッチマンをとおして見てきた。
サイモンによると、そもそも人間の合理性は限定的であり、見通せるのはせいぜいのところごく近い将来までである。したがって、長期にわたる実際の行動についての詳細な青写真をつくるのは明らかに無意味である。
ゴールドラットによると、プロジェクトは前工程に依存するタスクの連なりであり、各タスクの処理能力にはばらつきがあるため、プロジェクトは必ず遅れる。加えて、学生症候群等の人間の行動特性・心理特性のため、計画に余裕を見込んでも、それは活かされない。
サッチマンによると、人間の行為は状況との相互作用からうまれるものであり、計画にもとづいてなされるものではない。計画は、状況に対応した行為をおこなうための判断材料にすぎず、いかなる意味においても行為の進路を決定するものではない。
 
こうして、合理主義的計画の限界は明瞭に、そして原理的に、示されてきた。したがって、われわれがとるべき態度は、合理主義的計画をナイーブに計画したり前提したりしないこと、すなわち合理主義的計画を批判的に見る、という態度である。われわれ自身の合理性の限界、われわれ自身の非合理性から目をそらさない、ということである。
これは合理性の否定ではない。ものごとを進めていくうえで、合理性は必要だ。そのうえで、なお非合理性から目をそらさないということは、「非合理性を合理性へと再び取り込む議論」*3なのである。みずからの合理性の限界を明確に意識したうえで、その限界内において合理的であることを目指すということである。
したがって、計画が不要なのではない。計画はたてる。最終目的や押さえないといけないところは押さえる。ただし、それをみずからの合理性の限界内においてのみ有効なものと認める、ということである。もっとくだけた言い方をすれば、計画はたてるが、それに固執せず、可能な限り柔軟に進めていく。目的への道筋だけではなく、目的それ自体に関してすら、変更を恐れない、ということである。これが漸増主義的計画につながっていく。
 
「計画を疑って、いったいどうやって仕事をすすめていくのか?」というのはもっともな疑問だ。われわれは合理主義的計画にどっぷり浸かってきたので、頭を切り替えるのが難しいのだ。だが、じつは漸増主義的計画はかなり以前から、合理主義的計画に対するアンチテーゼとして提唱されてきている。たとえば、ITプロジェクトではスクラムに代表されるアジャイル・アプローチ、軍事利用からスタートしビジネスやスポーツなどでも応用されるようになったOODA(ウーダ)、開発援助ではRRI(Rapid Result Initiative)やPDIA(Problem-Driven Iterative Adaptation)などなど*4
 
本ブログでは、次回以降、これらの漸増主義的計画を見ていくことになる。ただ、例によって、たんなるツールの紹介にとどまるのではなく、その基本的考え方、思想的背景を見ていく。だって、このブログは「プロジェクトマネジメントを哲学する」だから。
ということで、次回は政策立案の立場から漸増主義を唱えた C. リンドブロム の有名な論文 The Science of "Muddling Through" を読みます。Muddling Through とは、「どうにかこうにかして切り抜ける」という意味です。
 
では、また。

*1:中俣和幸・郡司篤晃(1992),「わが国における保健医療計画の基本的問題についての検討(1)―計画とは何か」,『公衆衛生』Vol. 56 No. 11.

*2:PCMの使い手のみなさん、覚えていますか? PRA/PLAが出てきたときも、システム思考が出てきたときも、これらの陣営から、「PCMは過度な単純化をおこなっている」と批判されました。つまり、PCMは、合理的計画を立案するために、さまざまな現実の事象を捨象して単純化する手法、すなわち典型的な合理主義的計画なんですね。

*3:一ノ瀬正樹, 『非合理性』(L. ボルトロッティ, 2019年, 岩波書店)解説, p.195. 「おそらく、カーネマンらが創始した行動経済学という学問そのものが、人間の非合理性を合理性へと回収することをもくろんだ活動なのだと言ってよいように思われる。」

*4:同業者のみなさん、日本の開発援助業界で一時よく耳にしたPRODEFIモデルも、提唱者自身が自覚していたかどうかは分かりませんが、この手の漸増主義的モデルです。本ブログで紹介するつもりはありませんが。