プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画20:漸増主義(インクリメンタリズム)(2)

前回は、政策策定が、規範としては合理主義的であることが求められているが、現実には漸増主義的アプローチでおこなわれている、というリンドブロムの現状分析を見た。今回は、この現状分析をもとに体系化された、方法論としての漸増主義を見ることとする。

リンドブロムの漸増主義(インクリメンタリズム)の方法論は、前回みた合理主義批判の裏返しになっている。そこで、以下、漸増主義と合理主義を対にしてその方法論をしめす。漸増主義の部分がリンドブロム(1979)*1からの引用、括弧のなかの合理主義の部分がブログ筆者によるものである。

1.少数のなじみのある政策案に絞って分析する(可能なすべての代替案を分析するのではない)。
2.達成すべき政策目標や価値を、実際の問題の経験と一体的に分析する(あるべき姿としての目標をさだめ、それを達成するための政策を考えるのではない)。
3.目前の問題の改善を第一に考える(理想にむけた大幅かつ根底的な変更を目指すのではない)。
4.試行錯誤や修正をくりかえす(設定された目標にむかって一直線に進むのではない)。
5.代替案がもたらす結果のうち、とくに重要なものについてのみ分析をおこなう(すべての結果を分析するのではない)。
6.政策立案にあたっては、多くの賛同的関係者*2にその分析作業を分散させる(特定の政策立案者だけが政策立案をおこなうのではない)。

リンドブロムは、これを「単純化と焦点化の戦略*3」と呼び、意思決定が時間的にも空間的にも分散しているところから、このアプローチを分散的漸増主義(disjointed incrementalism)*4と名づけた。

政策立案における合理主義的アプローチがあるべき姿を示す「規範モデル」であるのに対して、リンドブロムの漸増主義は現状を説明した「記述モデル」と認識されることが多かった。そのため、リンドブロムの漸増主義は、現状を説明するには優れたモデルだが、現状を容認しているにすぎないという批判も少なくなかった*5

しかし、前回の冒頭でもふれたとおり、リンドブロムは、漸増主義的アプローチこそが政策の合理性を確保するのであり、政策立案の指針をしめす規範モデルであると主張した。すなわち、以下のようにして、漸増主義的アプローチは政策の合理性を確保するのである*6

1.現行秩序のなかでの比較的小さな変更に限定されるため、分析*7にともなう困難が小さくなる。
2.検討範囲が狭まるため、代替案に関する知識が大きくなる。
3.政策の結果を予測することが難しい場合は、その結果を無理に決めることなく、その後のプロセスにゆだね、そのなかで修正できるようにするため、現実的に実行可能な手段だけが保持される。
4.試行錯誤をくりかえすなかで脱落していった手段や問題にも、復活のチャンスが残される。
5.直前の結果が方向性をたえず検証するだけでなく、方向性を明確にするため、論理的に「誤り」を最小化することができる。
6.そうしたフィードバックの結果として、一から始める場合とは違い、探索のための多大な時間とエネルギーをついやす必要がなくなる。
7.状況の変化や時の経過にともなって次々とでてくる出来事やアイデアを、合理主義的アプローチは排除するが、漸増主義的アプローチは最良の資源として活用する。
8.それゆえ、過去の間違った決定を取り返しのつかないものにすることなく、修正することができる。
9.それゆえ、政策はつねに修正・更新され、そのたびに過去に却下された代替案や価値が復活するチャンスがある。
10.それゆえ、政策立案にさいして関係者全員の合意形成をはかる必要がない*8。なぜなら、過去に却下された代替案や価値が復活するチャンスがつねに準備されているからである。

さて、合意形成は必要ない!という衝撃の言明がなされたところで、今回はここまでとする。
次回は、合意形成不要論に関連して、漸増主義の背景をなす「相互調整論」をみて、リンドブロムの終わりとしたい。
では、また。

*1:Lindbrom, C. E. (1979). "Still muddling, not yet through," Public Administration Review, Vol.39, No.6, pp.517-526.

*2:partisan participants

*3:simplifying and focusing stratagems

*4:disjointedは、分節的(橋本(1962)*、谷(1982)*)や分割された(岸田・田中(2009)*)などとも訳されるが、ここでは分散的と訳した。というのは、リンドブロムが disjointed の説明にさいしてしばしば fragmented という言葉を使っており、分節や分割よりも、ばらばらに散らばっているイメージが強いためである。なお、disjointed は、本来、支離滅裂な、ばらばらな、ちぐはぐな、など、否定的な意味でもちいられる言葉である。Oxford Reference* は disjointed incrementalism に関して否定的な解説をおこなっている。すなわち、disjointed incrementalismは、全体を検討せず、要素を個別に検討するため、正当性に欠け(less justifiable)、そのため、サラミ政治(salami politics)と揶揄される。サラミはたいていスライスして食べるからである。
*「政策立案における官僚行動」, 橋本信之, 『年報行政研究』1986 巻 20 号, p.133-158.
*「政策決定論の展開と課題:合理主義的アプローチの分解をめぐって(2)」, 谷聖美,『岡山大学法学会雑誌』32巻2号(1982年11月).
*『経営学説史』, 岸田民樹・田中政光, 株式会社有斐閣, 2009年.
* Oxford Reference; https://www.oxfordreference.com/display/10.1093/oi/authority.20110803095721690

*5:「自由・公正・秩序(1)」, 武智秀之, 人文学報 No.281(社会福祉学13)1997, p.108.

*6:以下、岸田・田中(2009)による

*7:リンドブロムは「計算」と言っている。前回の脚注11でいう意味での「計算」である。

*8:PCMの使い手のみなさん、あるいは参加型開発の実践者のみなさん、「合意形成は必要ない!」のです!