プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画18:合理主義的計画から漸増主義的計画へ

ということで、ここまでの議論と今後の見通しを概観しておく。
ここまでの議論で、われわれは合理主義的計画の限界を確認してきた。
中俣・郡司(1992)*1によると、合理主義的計画は、ある意味で、複雑なことがらを管理可能なかたちに単純化する作業である。それゆえ、その計画は現実の不完全で過度な単純化であり、総合的でない、と批判されることがしばしばあった*2。そこで、この批判をうけて複雑化と総合化につとめると、今度は逆に、合理的な計画はますます作成困難となり、実効性もいっそうあやしくなる。中俣らはこれを「合理性についてのジレンマ」と呼んだ。
 
本ブログでは、この認識から出発して、合理主義的計画にはそもそも看過しえない限界があることを、サイモン、ゴールドラット、サッチマンをとおして見てきた。
サイモンによると、そもそも人間の合理性は限定的であり、見通せるのはせいぜいのところごく近い将来までである。したがって、長期にわたる実際の行動についての詳細な青写真をつくるのは明らかに無意味である。
ゴールドラットによると、プロジェクトは前工程に依存するタスクの連なりであり、各タスクの処理能力にはばらつきがあるため、プロジェクトは必ず遅れる。加えて、学生症候群等の人間の行動特性・心理特性のため、計画に余裕を見込んでも、それは活かされない。
サッチマンによると、人間の行為は状況との相互作用からうまれるものであり、計画にもとづいてなされるものではない。計画は、状況に対応した行為をおこなうための判断材料にすぎず、いかなる意味においても行為の進路を決定するものではない。
 
こうして、合理主義的計画の限界は明瞭に、そして原理的に、示されてきた。したがって、われわれがとるべき態度は、合理主義的計画をナイーブに計画したり前提したりしないこと、すなわち合理主義的計画を批判的に見る、という態度である。われわれ自身の合理性の限界、われわれ自身の非合理性から目をそらさない、ということである。
これは合理性の否定ではない。ものごとを進めていくうえで、合理性は必要だ。そのうえで、なお非合理性から目をそらさないということは、「非合理性を合理性へと再び取り込む議論」*3なのである。みずからの合理性の限界を明確に意識したうえで、その限界内において合理的であることを目指すということである。
したがって、計画が不要なのではない。計画はたてる。最終目的や押さえないといけないところは押さえる。ただし、それをみずからの合理性の限界内においてのみ有効なものと認める、ということである。もっとくだけた言い方をすれば、計画はたてるが、それに固執せず、可能な限り柔軟に進めていく。目的への道筋だけではなく、目的それ自体に関してすら、変更を恐れない、ということである。これが漸増主義的計画につながっていく。
 
「計画を疑って、いったいどうやって仕事をすすめていくのか?」というのはもっともな疑問だ。われわれは合理主義的計画にどっぷり浸かってきたので、頭を切り替えるのが難しいのだ。だが、じつは漸増主義的計画はかなり以前から、合理主義的計画に対するアンチテーゼとして提唱されてきている。たとえば、ITプロジェクトではスクラムに代表されるアジャイル・アプローチ、軍事利用からスタートしビジネスやスポーツなどでも応用されるようになったOODA(ウーダ)、開発援助ではRRI(Rapid Result Initiative)やPDIA(Problem-Driven Iterative Adaptation)などなど*4
 
本ブログでは、次回以降、これらの漸増主義的計画を見ていくことになる。ただ、例によって、たんなるツールの紹介にとどまるのではなく、その基本的考え方、思想的背景を見ていく。だって、このブログは「プロジェクトマネジメントを哲学する」だから。
ということで、次回は政策立案の立場から漸増主義を唱えた C. リンドブロム の有名な論文 The Science of "Muddling Through" を読みます。Muddling Through とは、「どうにかこうにかして切り抜ける」という意味です。
 
では、また。

*1:中俣和幸・郡司篤晃(1992),「わが国における保健医療計画の基本的問題についての検討(1)―計画とは何か」,『公衆衛生』Vol. 56 No. 11.

*2:PCMの使い手のみなさん、覚えていますか? PRA/PLAが出てきたときも、システム思考が出てきたときも、これらの陣営から、「PCMは過度な単純化をおこなっている」と批判されました。つまり、PCMは、合理的計画を立案するために、さまざまな現実の事象を捨象して単純化する手法、すなわち典型的な合理主義的計画なんですね。

*3:一ノ瀬正樹, 『非合理性』(L. ボルトロッティ, 2019年, 岩波書店)解説, p.195. 「おそらく、カーネマンらが創始した行動経済学という学問そのものが、人間の非合理性を合理性へと回収することをもくろんだ活動なのだと言ってよいように思われる。」

*4:同業者のみなさん、日本の開発援助業界で一時よく耳にしたPRODEFIモデルも、提唱者自身が自覚していたかどうかは分かりませんが、この手の漸増主義的モデルです。本ブログで紹介するつもりはありませんが。