プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画21:漸増主義(インクリメンタリズム)(3)

リンドブロムがいう「合意形成は必要ない」というのは、正確には、合理主義的アプローチが要求するような、究極目標とそれにいたる手段のすべてについて合意を形成することは、できないし、やろうとするべきではない、ということである。それにかわって、リンドブロムは「相互調整」の重要性を強調する。

人間の限定合理性のゆえに、分析が完全に正しくおこなわれることはない。分析はつねに不完全である。そして、リンドブロムによると、政策立案における分析はつねに多かれ少なかれ分析者や意思決定者による「党派的分析」(partisan analysis)であり、偏っている。ちなにみ、谷聖美は partisan analysis を「自己中心的分析」と訳している。

分析が党派的、自己中心的でしかありえないのであれば、究極的な目標やそのための手段について合意を形成しようとするのは非現実的である。そうであれば、究極目標を一致させようとするのではなく、目の前の具体的かつ単一の政策案についてのみ合意し、それ以上のことを追求する必要はないし、するべきではない。それ以上のことは、漸増主義のシステムそれ自体がもっている調整メカニズムにゆだねるべきだとし、リンドブロムはこのメカニズムを「党派的相互調整」(partisan mutual adjustment)と呼んだ。

この相互調整は、前回みた漸増主義のプロセス、すなわち、政策の結果を後のプロセスにゆだねる、試行錯誤をくりかえす、脱落した手段や問題を復活させるといった、「みずからの主張を実現するために他者が提案する修正可能な決定を受け入れるプロセス」のなかでおのずとなされる*1。つまり、合意形成が合理主義が要求するフォーマルな制度であるとすると、相互調整は漸増主義というシステムそれ自体がもっているインフォーマルな調整メカニズムなのである。市場が「見えざる手」によって自動調整されるように、漸増主義においては政策が「相互調整」によって自動調整されるのである。

このように考えると、合意は意思決定の前提条件でも必要条件でもない、ということになる。合意は意思決定の前ではなく、後になって形成されるのである。それゆえ、漸増主義にしたがうとき、人々のあいだの価値観の相違は問題にならない。

いわば、リンドブロムは、多様な要求に対する希少な資源の配分を、システムそれ自体がもっている調整メカニズムにゆだね、そうすることで合理主義的アプローチの非現実性を克服し、実践的であろうとしたのである。そこにみられるのは、予測や分析、それにもとづく「計画」に対する深い懐疑であり、人々や集団がみずからの要求を追求するうえでおりなす相互調整に対する深い信頼である(岸田・田中(2009), p.294)。

以上で3回にわたったリンドブロムの漸増主義を終わりにする。なお、この3回の内容はその多くを谷(1982)*2と岸田・田中(2009)*3に負っているが、いちいち出典を付記すると煩雑になるので、直接的な引用以外については出典はしめさなかったことをことわっておく。

ということで、リンドブロムは muddling through を逆手にとって、その正当性を体系化したわけだが、とはいえ、漸増主義の「現状追認感」*4と、そのプロセスの「行き当たりばったり感」は否めないのではないだろうか。そのためか批判も多かった*5

このような批判を背景に、あるいは批判の一端として、J. B. クインは「論理的な」漸増主義を提唱した(クインは "logical incrementalism is not muddling" といっている)。ということで、次回はクインの論理的漸増主義(Logical Incrementalism)をみることとする。
クインのあとは、ごく少数の政策案を合理主義的に分析し、それ以外の政策案は漸増主義でいくという、A. エツィオーニの混合走査法モデル(Mixed Scanning Model)をみる。

では、また。

*1:このとおり、相互調整はなんらかの形でギブアンドテイクであり、したがって相互調整は互酬的(reciprocal)でもある。この互酬は、不等価交換を排除するものではなく、また恩恵に対する見返りの多くが将来に対する期待というかたちをとる(谷(1982), p.348)。つまり、互酬も時間的に分散(disjointed)しているのである。

*2:「政策決定論の展開と課題:合理主義的アプローチの分解をめぐって(2)」, 谷聖美,『岡山大学法学会雑誌』32巻2号(1982年11月)

*3:経営学説史』, 岸田民樹・田中政光, 株式会社有斐閣, 2009年.

*4:役所の予算編成が前年度実績をベースに増加割合を決定していることをもって漸増主義の一例とする、漸増主義に支持的でありながら、漸増主義を矮小化したような議論がある。しかしこれは同時に、漸増主義はそういう現状を容認する保守的な記述モデルにすぎないという批判をうんでいる。

*5:上記脚注4および前回の脚注4参照。