プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画8:行動経済学からプロジェクトマネジメントへ

ここで、プロジェクトマネジメントの話しにもどる。

ここまでの話しを簡単に振り返っておこう。計画論の話しをしているのだった。計画には合理主義的計画と漸増主義的計画があり、伝統的プロジェクトマネジメントは前者に立っている。だから、人工物をおもな対象とするアポロ計画はうまくいったが、人間や社会を対象とする地域医療計画はうまくいかなかった。なぜなら、人間や社会は合理的ではないから。そこから、合理主義的計画は、工学的な領域では有効であっても、社会的な領域では必ずしもうまくいかない、という評価が定着した。だが、それにもかかわらず、いまだプロジェクトマネジメントの主流は合理主義的計画を前提としている。(筆者が生業としている開発援助も、人間や社会を対象とする社会開発事業だが、依然として合理主義的計画にもとづいてプロジェクトをおこなっている。例外的な動きも見られるが、それについては回を改めて紹介する。)

一方、経済学においては、人間を完全合理的な存在としてきた伝統的経済学に対して、サイモンが人間の限定合理性を指摘し、その流れのもとにカーネマン*1とトヴェルスキーのふたりの心理学者が、非合理的なふるまいをする“現実の人間”をモデルとする行動経済学への道をひらいた。

ということで、本ブログのまず第一の論点は、行動経済学のアナロジーをプロジェクトマネジメントにあてはめてみることである。

筆者がプロジェクトマネジメントに関わるようになったのは、いまから20年ほど前だが、そのころから、書籍やプロジェクトマネジメント協会(PMI)*2のニュースレターなどで、「70%のプロジェクトは失敗している」ということが盛んに喧伝されていた。そして今でも、「70%のプロジェクトは失敗している」という記事をみかける*3。このデータが本当なら、この20年間、プロジェクトマネジメントは役に立っていないし、改善されていないことになる*4。本ブログの「計画:4」でも、工学系のプロジェクトにおいてすら正式な計画は使われず、現場が現場のために作った計画が使われていることや、PERT/CPMの成功率が15%であることなど、見たとおりだ。

そうだとしたら、プロジェクトが計画どおりに進まないのは、プロジェクトチームに問題があるというよりも(それも少なくはないだろうが)、計画どおりに進めようとすることにそもそも無理があるのではないかと考えるべきだろう。

そして、行動経済学のアナロジーをあてはめるなら、プロジェクトマネジメントにおいてもまた、限定合理的な人間という現実をうけいれ、心理学的視点をとりこみ、プロジェクトをおこなう“現実の人間”の行動モデルにもとづいたプロジェクトマネジメントを考えるべきではないか、と考えるわけである。

そう思って振り返ると、プロジェクトマネジメントに心理学的視点をとりこもうとした事例、それも無視できない大きな事例があったことに思いいたる。エリヤフ・ゴールドラット(Eliyahu Goldratt)である。

ということで、次回は、ゴールドラットの制約理論、およびそれをプロジェクトマネジメントに適用したクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメントについて見ることにする。

本ブログのタイトルが「プロジェクトマネジメントを哲学する」でなければならないわけがお分かりいただけたと思う。本ブログが目論んでいるのは、プロジェクトマネジメントの前提を根底から見直すことなのである。

ということで、次回はゴールドラットです。

では、また。

*1:カーネマンは、著書ファスト&スロー』のなかで、「サイモンは、20世紀の知の巨匠である。彼は20代のときに組織における意思決定論を執筆し、これはすでに古典となっている。サイモンの数多い業績はそればかりではなく、人工知能分野の創設者の1人であり、認知科学の重鎮であり、科学的発見プロセスで多大な影響力を持つ研究者であり、行動経済学の先駆者である。そして、ほんのおまけでノーベル経済学賞を受賞した」と言っている。(カーネマン, D.(著)、村井章子(訳)(2014)『ファスト&スロー(下)』ハヤカワ・ノンフィクション文庫, p.367)

*2:Projcect Management Institute (US)

*3:面倒なので出典は確認していない。いずれ、過去と現在の文献を調べ、出典を確定したいと思っている。

*4:次回に見るゴールドラットは、彼のビジネス小説のなかで、登場人物に「過去約40年の間、少なくとも私の意見ではだが、目新しいことは何も起きていない」と言わせている。(ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2003)『クリティカルチェーンダイヤモンド社, p.23.)