プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画3:合理主義的計画と漸増主義的計画(2)

漸増主義(incrementalism)*1は合理主義に対する批判として生まれたもので、人間の合理性の限界の認識にもとづいている。

合理性の限界とは、ハーバート・サイモン(H. Simon)が提起した概念で、現実の問題はきわめて複雑であり、それを認識する人間の能力には限界がある、というものである。

これだけを聞くと、そんなことは百も承知、と思われるかもしれないが、世の中はこの認識を踏まえてはいない。経済学はつねに経済合理的な選択を行なう経済人(ホモエコノミカス)を前提に経済理論を構築してきたし、地域医療計画(RMP)のような社会的なプロジェクトにも合理主義的計画を適用してきた。

アポロ計画の場合、それを構成する主要な要素は、ロケット、司令船、月着陸船、それらの操縦システムだった。それぞれが複雑であり、それらを統合した「アポロ宇宙船」はさらに複雑な統合体だった。とはいえ、それらは人間が作ったものである。だから、作った人間はそれらを隅々まで熟知していて、コントロールできた。だから合理主義的計画でうまくいった。

一方、RMPの場合、その対象は人間であり社会だった。人間は人間や社会を熟知していないし、それらをコントロールする手段をもちあわせていない。さらに、医療の場合、人間は生命や病気の本質について完全な知識をもっているわけではない。つまり、RMPの場合、その対象は人間の合理性の限界を超えていた。だから、合理主義的計画はうまくいかなかった。

漸増主義的計画は、こういった人間の合理性の限界を認める立場に立つ。

漸増主義的計画は、あらかじめ目標を設定することを否定する。現実の問題はきわめて複雑で、その構造は歪んでいる(ill structured)。そのような問題を正しく分析し、適切な解決策を考え、あらかじめ合理的に目標を設定するのは現実的ではない、と考える。

それよりも、当面問題となっている事柄と、それに直接関係する事柄だけに関心を絞り、その解決に取り組むこと、そして、これを繰り返し、漸増的に、小さな改善を積み重ねていくほうが、現実的であり、結局は大きな進歩をもたらす、と考えるのである(Lindblom, 1965)*2

 

以上、郡司(1991)に依拠した、合理主義的計画と漸増主義的計画の概観はここまでとする。

言うまでもないことだが、だから合理主義はだめだとか、合理性は必要ないとかいう話しではない。何かをなしとげようとするときに、暫定的にでも目標を設定する必要はあるし、そこに向かって可能な限り合理的な手順をたどる必要はある。ただ、われわれ人間の合理性には限界があることを認識し、合理主義的アプローチと漸増主義的アプローチを併用する柔軟さが求められるということである。

郡司は、ひとつの計画のなかに合理主義と漸増主義という相反するものが存在することを「計画の基本的矛盾」と呼び、計画がそのような矛盾を抱えるものであることを認めている(中俣・郡司, 1992, pp.777-778)*3。合理主義か漸増主義かという、あれかこれかの問題ではなく、計画はその両者をどうしようもなく抱え込んでいる、と言っているのである。

また、共同体主義の代表的論者であるアミタイ・エツィオーニ(A. Etzioni)は、社会的意思決定において、合理的モデルと漸増的モデルを融合させた第3の意思決定アプローチ Mixed-Scanning Model を提唱している*4。つまり、あれかこれか(either-or)の問題ではなく、あれもこれも(both-and)というアプローチが必要だということだ。(Mixed-Scanning Model については、改めて紹介の機会を持つつもりです。) 

 

前回と今回で合理主義的計画と漸増主義的計画を概観した。概観だったので、食い足りない思いを抱いている向きもあろうと思うが、次回以降、サイモンやリンドブロムの原典にあたって、合理主義と漸増主義についてさらに深めていくので、今後に期待していただきたい。

ということで、次回は H. サイモンの「限定合理性」の話しです。これは、行動経済学につながる話で、面白い!

では、また。

*1:漸進主義、増分主義ともいう。

*2:Lindblom, C. (1965). The Intelligence of Democracy. New York: The Free Press.

*3:中俣和幸・郡司篤晃(1992)「わが国における保健医療計画の基本的問題についての検討(1)―計画とは何か」『公衆衛生』Vol. 56 No. 11 pp.776-781.

*4:Etzioni, A. (1967). "Mixed-Scanning: A "Third" Approach to Decision-Making," Public Administration Review, 27-5, pp.385-392

計画2:合理主義的計画と漸増主義的計画(1)

合理主義的計画と漸増主義的計画の対立構図は、郡司篤晃氏の論文*1で概観され要領よくまとまっているので、今回は、氏の論文に依拠して書かせてもらう。

通常われわれが計画と聞いて思い浮かべるのが、合理主義(rationalism)にもとづく計画、すなわち合理主義的計画(rationalistic planning)だと言っていいだろう。

合理主義的計画は、1) 目標を設定し、2) 目標達成のための案(手段)を複数考え、3) それらの案を比較評価し、4) 最も良い案を選ぶ、というプロセスをとる。つまり、複数の案のなかから最良(optimum)の案を選んでいるのである。

(PCM(Project Cycle Management)に馴染みのある方は、PCM計画立案が同様のプロセスをとっていることに気づいただろう。言うまでもなく、PCMの計画手法は何ら特別なものではなく、ごく当たり前の計画プロセスにしたがっており、そして、合理主義的計画手法なのだ。)

合理主義的計画は、1960年代のコンピュータの実用化によって強力な後押しを受けた。たとえば、宇宙開発でソビエトに後れをとったアメリカは*2NASAによるアポロ計画*3を立ち上げ、1969年にアポロ11号による有人月面着陸を成功させた。このプロジェクトの成功によって合理主義的計画に対する評価が高まり、工学以外の分野にも、合理主義的計画が広くもちいられるようになった。

そのひとつの例が、1965年に発足した地域医療計画(RMP: Regional Medical Program)である。これは、行政区画にこだわらず、医科大学などを中心とした広い地域を単位として、心臓病、癌、脳卒中などの低減を目指した医療計画で、計画・実行・評価(plan-do-see)を明確に意識した合理主義的計画として立案された。しかし、RMPはさしたる成果をおさめることなく、人々の関心は、その後登場した保健維持機構(HMO: Health Maintenance Organization)の民間保険による医療提供システムに移っていった。

このようなことが度重なり、合理主義的計画は、工学的な領域では有効であっても、社会的な領域では必ずしもうまくいかない、という評価が定着していった。

(ということだが、開発援助の世界では、もっぱら社会開発系のプロジェクトを実施しているにもかかわらず、いまだに、大した疑問を抱かれることもなく、合理主義的計画にもとづいてプロジェクトが実施されている。)

このような合理主義的計画に対する批判として登場するのが、漸増主義的計画である。

短いが、今回はここまで。
今回は、合理主義的計画を概観した。
次回は、漸増主義的計画を概観する。

なお、本ブログのテーマとしては、特に分野を限定しないプロジェクトマネジメントを想定しているが、筆者は、開発コンサルタントを本業としているため、時々、開発援助の世界の話しをしたくなる。そういうときは、上記のように括弧書きするので、括弧書きで開発援助の話しが始まったら、関心のない方は飛ばし読みしていただきたい。読んでみて、ほう、日本の開発援助の世界はこんななのか、と思っていただくのも一興かもしれないが。なにせ、政府開発援助(ODA)は、みなさんの税金で行なわれているのだから。

では、また。

*1:郡司篤晃(1991)「地域福祉と医療計画―医療計画の基本的諸問題」『季刊・社会保障研究』Vol. 26 No. 4, pp.369-384.

*2:1957年のソビエトによる人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げ成功の報を受けて、西側諸国に衝撃と危機感が走った。これをスプートニク・ショックという。

*3:アポロ計画は、NASAのホームページを見るとわかるが、Apollo Program であって、Apollo Project ではない。これはプログラムとプロジェクトの違いを示す絶好の例になっている。アポロ計画は、アポロ1号、アポロ2号、アポロ3号、… といった「複数のプロジェクトを有機的に連携させた統合的な事業」すなわちプログラムなのだ。

計画1:計画とは何か

計画論に入るにあたって、一応、計画とは何か、すなわち「計画の定義」を確認しておく。

「計画」や「計画論」といった言葉に大方の研究者が了解するような定義は存在しない。むしろ、1980年代初頭から始まった研究の異様なまでの(hyperactive)盛り上がりのなかで、計画論は「パラダイムの崩壊」と呼ばれるまでに細分化、断片化されていった(Allmendinger, 2002, pp.78-79)*1

計画論の大家 ジョン・フリードマン(J. Friedmann)は、「40年におよぶ活発な議論をへて、なぜいまだに計画論に関して、定義はおろか、異論を呼び起こすことなく広く受け入れられる共通理解を見出すことすらできないのか」と慨嘆している(Friedmann, 2011, p.8)*2

 そんなわけで、ここで「これ」といった定義をひとつ選ぶのは至難の業だ。なので、今回は、今後このブログにご登場願う研究者たちが、それぞれに計画をどう定義しているかを、ざっと並べて見ておくことにする。 

広範な分野で研究活動を展開し、ノーベル経済学賞チューリング賞を受賞したハーバート・サイモン(H. Simon)は、計画を「将来についての提案、代替的提案の評価、およびこれらの提案の達成方法にかかわる活動」と定義している(Simon, 1950)*3。サイモンの計画論に関しては、彼の限定合理性の議論を見たあとで、再度触れることとする。

オペレーションズリサーチやシステムシンキング、経営科学等の先駆者であるラッセル・エイコフ(R. Ackoff)は、「計画とは、未来において実現したい状態があり、一連の行動をとることによってその実現の可能性が著しく高まる場合に、それを実現するための一連の行動を分析・評価するプロセス」と定義している(Ackoff, 1970)*4。古いものだが、比較的ひろく引用されている。 

J. フリードマンは、計画策定(planning)の定義として、操作的定義(operational definition)と形式概念(formal concept)のふたつをあげている。操作的定義は、問題を定義し、状況をモデル化・分析し、ひとつ以上の可能な解決策を策定し、解決策の詳細な評価をおこなう活動というものであり、解決策の策定に、目的と目標の設定、将来予測、達成可能性の判断、活動順序の設定などが含まれる。形式概念は、知識と行為をつなぐプロセス、というものである(Friedmann, 1987, pp.37-40)*5。 つまり、計画策定とは、実践上は、問題を特定し、その解決策を考え、目標を定め、目標達成のための活動の順序を特定することであり、われわれに馴染み深い定義だといえるだろう。面白いのは計画策定の概念で、フリードマンは、計画策定は知識と行為をつなぐプロセスだと言っているのである。

MBAが会社を滅ぼす』(2006年, 日経BP社)を書いた経営学者ヘンリー・ミンツバーグ(H. Mintzberg)は、①未来を思考すること、②将来をコントロールすること、③意思決定、④統合化された意思決定、⑤意思決定を統合化したシステムの形で明確な結果を生み出す公式の手順、といった過去の研究者の定義を有効としつつ、みずからは定義を定めず、「効果的な実行に導くための最初の一歩を踏み出すことによって、意図された戦略を現実の戦略に変換する」ことを計画策定(planning)の「唯一の役割」としている(ミンツバーグ, 1997, p.354)*6。 

科学技術人類学者 ルーシー・サッチマン(L. Suchman)は、認知科学において、「プランはあらかじめ想定された目的を達成するためにデザインされた行為の系列」と見なされているとし(サッチマン, 1999, p.28)*7 、みずからはこの見方を批判している 。 

プロジェクトマネジメント標準の定義も見ておこう。

実務書ゆえに「計画」などという基本語の定義にはこだわらないのか、PMBOKにもP2Mにも、「計画プロセス」の定義はあっても、「計画」の定義は見あたらない。 

PMBOKは「計画プロセス群」を、「プロジェクトの目標達成に向け、プロジェクトのスコープを確定し、目標を洗練し、求められる一連の行動を定義するために必要なプロセス群」としている(PMI, 2018, p.23)*8

 P2Mは、「プロジェクト計画作成の目的」を、「プロジェクト完了までの実現性を確保したロードマップとしてのプロジェクト計画書を策定し、ステークホルダーの承認を獲得すること」(PMAJ, 2014, p.228)*9とし、プロジェクト計画書に何が記載されるべきかを詳細に解説している

以上、1950年のサイモン以降、およそ10年から20年ごとの定義を見たことになる。いずれも、「将来を予測し、目標を設定し、それを達成するための一連の行動を設定するもの」という骨格は共通していると言ってよさそうだ。

ということで、いささか退屈だったかもしれないが、計画の定義の話しはここまで。

次回から、合理主義的計画と漸増主義的計画の話しに入る。

では、また。

*1:Allmendinger, P. (2002). "Towards a post-positivist typology of planning theory,” Planning Theory, Vol. 1 (1), pp.77–99.

*2:Friedmann, J. (2011). Insurgencies: Essays in Planning Theory. Oxford: Routledge.

*3:Simon, A. H., Smithburg, D. W., and Thompson, V. A. (1950). Public Administration. New York: Alfred A. Knopf Inc. 邦訳:H. A. サイモン、D. W. スミスバーグ、V. A. トンプソン(著)、岡本康雄・可合忠彦・増田孝治(共訳)(1977)『組織と管理の基礎理論』ダイヤモンド社. 

*4:Ackoff, R. L. (1970). A Concept of Corporate Planning. New York: John Wiley & Sons Inc. 

*5:Friedmann, J. (1987). Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action. New Jersey: Princeton University Press.

*6:ミンツバーグ, H.(著)、中村元一・黒田哲彦・崔大龍・小高照男(共訳)(1997)『戦略計画:創造的破壊の時代』産業能率大学出版部.

*7:サッチマン, L. A.(著)、佐伯眸・上野直樹・水川喜文・鈴木栄幸(共訳)(1999)『プランと状況的行為 ―人間-機械コミュニケーションの可能性―』産業図書株式会社.

*8:PMI®(Project Management Institute®)(2017)『プロジェクトマネジメント知識体系ガイド(PMBOK®ガイド)第6版』PMI®.

*9:PMAJ(Project Management Association Japan)(2014)『改訂3版 P2M プログラム&プロジェクトマネジメント標準ガイドブック』日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ).

ブログを始めます

プロジェクトマネジメントについて、あれこれ思ったことを書いていこうと思う。

プロジェクトマネジメントの解説はしないので、ご注意を。PMBOKやP2Mなどのお勉強をご希望の方は、そういうサイトに行ってください。

ここでは、そもそもPDCAとは何なのかとか、およそ計画どおりに進まないのに計画って必要なのかとか、評価は価値判断だとか、そういうところから話を始めて、PDCAってインチキくさいよねとか、計画なんて幻想だとか、評価は主観だとか、そういうところに向かっていく話になると思う。

つまり、プロジェクトマネジメントのそもそも論とか、哲学的・思想的背景とか、そういうところまで遡って、そこから今のプロジェクトマネジメントに光をあてるという話し。ご登場ねがう学者先生も、サイモン、リンドブロム、クイン、ミンツバーグ、サッチマンといった思想家や、プラトンアリストテレスデカルト、ヒュームといった哲学者になる。せいぜいPMに近づいてゴールドラットくらい。

なので、当初「PMを哲学する」というブログ・タイトルを考えていた。だが、編集画面に入力してみると、字面が悪いというか、とっつきが悪い感じがして、却下。「PMのあれやこれや」というぼんやりしたタイトルになった。だけど、やりたいことはPMを哲学することです。

一応、計画・実施・評価の全体を網羅する見取り図は、ぼんやりとだが頭の中にある。だが、見取り図にしたがうと、最初にプロジェクトの定義という退屈な話し、つづいてPDCAという小さい話し、となり、出だしがつまらなくなりそう。なので、全体像は最後に描ければよいことにして、まずは、面白そうなところから書き進めていこうと思う。

勉強しながら、読まなければならない本を読みながら、書くことになるので、毎日記事をアップするなんて無理。ブログの更新は週1回くらいを目安にしたい。まあ、小出しにして、できるだけ更新頻度をあげたいとは思っているが。

ということで、次回から本論にはいる。まずは計画論。合理主義的計画と漸増主義的計画の対立から、H.サイモンの限定合理性の話し、そして限定合理性が基礎づけた行動経済学の話し、そこからPMへの心理学的アプローチという話しになる。すると、ゴールドラットのアプローチが心理学的アプローチとしては中途半端だったという話しになって、…と続いていくことになる。

今のところを読んで「くわばら、くわばら」と思った人もいるかもしれないが、ひとつひとつ噛み砕いて、分かりやすく説明し、少しずつ着実に進めていくので、お付き合いいただければ、多少は知的興奮を味わっていただけるのではないかと思う。

なお、文中、そのときの気分で、プロジェクトマネジメントと書いたりPMと書いたりするが、PMはプロジェクトマネジメントのことで、プロジェクトマネジャーのことではないので、ご承知おきを。

では、次回は、合理主義的計画と漸増主義的計画の話しです。
では、また。