プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画7:行動経済学

さて、人間の合理性は限定的であるという前提を受け入れると、つねに経済合理的な行動を行なう「経済人」(ホモ・エコノミカス)を前提としてきた伝統的経済学は、根底から揺るがされることになる。

すでに何度か経済人には言及してきたが、ここで改めてその定義を見ると、経済人とは以下のような人間である(山口ほか, 2020)*1

  • 合理的である。
    自分が利用できる情報をすべて駆使して、自分の効用を最大化する行動を選ぶ。
  • 自制的である。
    自分をコントロールし、一度決めた行動を将来においても覆さない。
  • 利己的である。
    自分の行動を決定するに際して、自分の利得のみを考える。

もう少し砕けた表現をすると、以下のようになる。

「経済人というのは、超合理的に行動し、他人を顧みず自らの利益だけを追求し、そのためには自分を完全にコントロールして、短期的だけでなく長期的にも自分の不利益になるようなことは決してしない人々である。自分に有利になる機会があれば、他人を出し抜いて自分の得となる行動を躊躇なくとれる人々である。」(友野, 2006)*2

従来の標準的な経済学は、この"全知全能の神のような"*3人間像を前提としてその理論を構築してきた*4
これに対して、限定合理性の概念を提起したことにより、H.サイモンは、伝統的経済学がよって立ってきた諸前提を根底から揺さぶったのであり、この経済学に対する"反逆"*5ノーベル経済学賞が贈られたのである。

 

だが、それによって経済学がただちに変化することはなかった。その理由として、サイモンが限定合理性を提唱したのとほぼ同時期に、人間の行動を定量的にあつかう一般均衡理論が発表されたこと、限定合理性や満足化が概念的・理念的なものにとどまっていて、定式化やモデル化が難しかったこと、満足化と最適化とで結果として得られる行動の差異は大きくないと考えられたこと、などがあげられる(中山, 2012, p.1-528)*6(友野, 2006, p.32)。
ほかにも様々な理由が指摘されているが*7、ここでは、のちに行動経済学をうみだす立役者のひとりとなったリチャード・セイラー(Richard Thaler)の解説を見てみよう。

セイラーは、当時の経済学者がサイモンを無視したのは、限定合理性を「事実だが、重要ではない」と考えたからではないかという。そもそも経済学のモデルが正確でないことは経済学者もわかっていた。だから、こうしたモデルが生み出す予測にエラーが含まれているとしても、モデルの式に「誤差項」を付け加えれば対処できた。「エラーがランダムに発生するのであれば、つまり、高すぎる予測と低すぎる予測が同じ頻度で現れるのであれば、エラーが互いに打ち消しあうので、何の問題もない。だったら限定合理性が生み出すエラーは無視してもかまわない。さあ、完全合理性モデルに戻れ! 経済学者はそう考えたのだった」(セイラー, 2019, pp.52-53)*8

だが、こうしたエラーはランダムには発生しない。人間は、ただでたらめに非合理なのではない。人間の認知には一定の偏りがあるのだ。偏りが一定しているということは、その偏りは予測可能だということである。そう、人間は「予想どおりに不合理」(ダン・アリエリー)*9なのだ。こうしたことを指摘し、経済学に対して心理学からアプローチをはかり、行動経済学をうみだしたのが、ふたりの心理学者、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)とエイモス・トヴェルスキー(Amos Tversky)である。

 

経済学の分野で人間の不合理性に本格的に注目が集まったのは1970年代後半以降で、そのきっかけとなったのが、「不確実性下における判断:ヒューリスティックスとバイアス」(1974)*10や、「プロスペクト理論:リスクのもとでの決定」(1979)*11等の論文に代表される、カーネマンとトヴェルスキーの研究だった。

ヒューリスティックは、ギリシア語のユーレカ(発見した!)を語源とする。確実ではないが、だいたいはうまく問題を解決できる、直観的で発見的な方略のことで、セイラーは、「"経験則"のかっこいい言い方」*12だと言っている。代表的なヒューリスティックには、利用可能性ヒューリスティック、代表制ヒューリスティック、係留(アンカリング)と調整ヒューリスティックがある。ちなみに、ヒューリスティックとは反対に、手順を踏んで厳密な解を得る方法をアルゴリズムという。

ヒューリスティックは直観的・経験的なものなので、しばしば間違いを犯す。このヒューリスティックによって起こる判断ミスをバイアスと呼ぶ。典型的なバイアスには、利用可能性ヒューリスティックから生じる「連言錯誤」や「後知恵バイアス」、代表制ヒューリスティックから生じる「少数の法則」や「ギャンブラーの誤謬」、係留と調整ヒューリスティックから生じる「アンカリング効果」などがある。

プロスペクト理論は、人間の不合理な行動には一定の規則性があるとの理解のもと、その規則性を理論化したものである。プロスペクトは、予期とか見込みという意味だが、カーネマンによると、ある事情から、あえて特に重要な意味をもっていない名称にした*13とのことなので、プロスペクトという言葉にこだわる必要はない。

ここから先は、行動経済学の内容の話しになるので、本ブログの範囲をこえる。行動経済学に関心のある方は、さまざまな書籍や文献が発行されているので、それらを参照願いたい。

やがて、カーネマンとトヴェルスキーという心理学者のもとに、セイラーという経済学者が加わり、心理学や社会学の知見を取り入れた経済学として、行動経済学が体系化されていった。カーネマンとトヴェルスキーの功績に対して、2002年にノーベル経済学賞が授与されたが、トヴェルスキーは1996年に59歳という若さで死去したため、カーネマン単独の受賞となった。セイラーもまた、やはり行動経済学の発展への寄与に対して、2017年にノーベル経済学賞を受けた。カーネマンとトヴェルスキーに関しては、心理学者にノーベル経済学賞が授与されたことになる。

 

だいぶ長くなったので、今回はここまでとする。
次回は、行動経済学の話しからプロジェクトマネジメントの話しにもどる、その道筋を簡単に再確認することとしたい。
そして、次々回は、プロジェクトマネジメントに対して心理学的アプローチをはかったゴールドラットの例を見ることとする。

今回以降、少し更新の頻度をあげていこうと思っています。そのために、生活のリズムや仕事のやり方を少し変えました。

では、また。

*1:山口裕幸ほか(2020)『産業・組織心理学』放送大学.

*2:友野典男(2006)『行動経済学―経済は「感情」で動いている』光文社新書.

*3:「この全知全能モデルの見解は、恐らく、神の知性のモデルとしては役立つが、人間の知性のモデルとしては間違いなく役に立たない。」(サイモン, H.(著)、佐々木恒男, 吉原正彦(共訳)(2016)『意思決定と合理性』ちくま学芸文庫, p.64)

*4:経営学者は非常識的なほどの全能の合理性が経済人にあるとしている。経済人は完全で矛盾のない選好体系をもっており、それによって、彼にとって開かれている代替的選択肢から選択することがいつも可能になっている。さらに、彼はいつも、これらの選択肢がどういうものであるかを完全に知っており、どの選択肢がもっともよいか判断するために行なうことのできる計算の複雑さに関する制約はなにもない。しかし、それは、血と肉をもった人間の現実の行動ないしは現実に起こりうる行動とは、まったくといってよいほど無関係なのである。」(サイモン, 2009, p.135; 1989, p.27)
ちなみに、社会学は、有機体が自然環境の変化になかば機械的に反応するように、人間は社会環境の変化になかば機械的に反応すると仮定することによって、その反応パターンをみいだそうとした。このことを揶揄して、エスノメソドロジー創始者ハロルド・ガーフィンケルは、そのように仮定された人間のことを「社会学者の社会に住む人間」とよんだ*。この言葉を借りれば、経済人は「経済学者の社会に住む人間」といえそうだ。
* Garfinkel, H. (1967). "Studies in Ethnomethodology," Englewood Cliff, NJ: Prentice-Hall, p.68.

*5:サイモン, 1989, p.1 訳者まえがき

*6:中山晶一朗(2012)「サイモンの限定合理性とプロセス記述:土木計画へのインプリケーション」『土木学会論文集D3』Vol.68, No.5, pp.1-523~1-538.

*7:中山(2012)は、合理的選択理論を擁護する理由として、1) 現実近似性、2) 理論整合性、3) 簡便・明快性、4) 利便・有用性、5) 応用性、6) 優位性、7) 広範な合意・理解の7点をあげている。(中山, 2012, p.1-531)

*8:セイラー, R.(著)、遠藤真美(訳)(2019)『行動経済学の逆襲(上)』ハヤカワ文庫, 早川書房.

*9:アリエリー, D(著)、熊谷淳子(訳)(2013)『予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ハヤカワ・ノンフィクション文庫, 早川書房.

*10:Tversky, A. and Kahneman, D. (1974). "Judgement under Uncertainty: Heuristics and Biases," Science 185, No.4157, pp.1124-1131.

*11:Kahneman, D. and Tversky, A. (1979). "Prospect Theory: An Analysis of Dicision under Risk," Econometrica, Vol.47, No.2 (Mar., 1979), pp.263-291.

*12:セイラー, 2019, p.50

*13:プロスペクト理論ははじめ「価値理論」と名付けられていた。だが、カーネマンによると、「『価値理論』だと誤解を招くおそれがあるので、あえて何の意味もない名称をつけることにした。もしもこの理論が有名になるようなことがあるとすれば、そのとき初めて意味を持つような言葉のほうがいいだろうと考えた。それで『プロスペクト』にした」のだそうである。(セイラー, 2019, p.57)

計画6:限定合理性(2)<満足化、悪構造問題>

前回は、人間の合理性が限定的なものであることを確認した。
今回は、そのような限定合理的な人間はどのような行動をとるのか、すなわち、限定合理的な人間の行動原理について考える。

今回はちょっと長くなるので、見出しをつけました。

 

1.満足化

前回の最後に述べたように、経済学はつねに合理的な選択を行なう経済人を前提にしているし、われわれは合理主義的計画にもとづいてプロジェクトを実施している。つまり、人間は客観合理的である、という前提に立っているのである。

この場合、人間は客観的に合理的な判断ができるのだから、その判断にもとづいて「最適」なものを選ぶことができる、ということになる。この場合の人間の行動原理は「最適化」(optimization)である。経済用語をもちいれば、効用関数にもとづいて効用が最大になる選択を行なうということであり、この行動原理は「最大化」(maximization)である。最適化と最大化はほぼ同義と考えてよいだろう。

一方、限定合理性の考えを受け入れると、人間は、客観合理的な判断にもとづいて最適解を選択することはできないことになる。では人間はどういう行動をとるのか? サイモンによると、人間は満足できるレベルのものを選ぶ。この行動原理をサイモンは「満足化」(satisficing)と呼んだ。「私の主張は、人間は最大化する知力がないから満足化するということである」(Simon, 1958, p.62)*1

前回、サイモンがあげた、客観合理的であるための3つの要件を紹介した。いいかえるとこれは最適化のための要件である。再掲する。

1.意思決定にさきだってすべての選択肢をパノラマのように概観できる。
2.それぞれの選択肢を選んだ場合に起こるであろう結果をすべて考慮できる。
3.全選択肢のなかからひとつを選ぶ基準となる価値体系をもっている。

これに対して、サイモンは、満足化に関してつぎのように述べている(サイモン, 2009, pp.185-186)*2

1.すべてのありうる選択肢を調べることなしに、選択を行なう。
2.世界のすべてのことがらの相互の関連性を無視し、単純な経験則で選択を行なう。
3.単純化は誤りを導くかもしれないが、人間の知識や推論の制約に直面すると、ほかの選択肢はありえない。

 

2.悪構造問題

ただし、誤解してはいけないのは、サイモンは最適化原理を否定・排除しているのではない、ということである。先の引用の全文はこうなっている。「私の主張は、人間は最大化する知力がないから満足化するということである。これは証明可能な経験的命題であると考えている。そして、もしこの主張が正しいなら、反対に言うこともできる。すなわち、あなたに最大化する知力があるなら、満足化することは馬鹿げている、と」。

つまり、最適化原理が働くか満足化原理が働くかの違い、いいかえれば、合理性の限界のありかは、対処するべき問題との相対的な関係によるのである。複雑な問題に対しては、人間の合理性は大きく限定されており、満足化に甘んじることになる。一方、単純な問題に対しては、人間の合理性は客観的合理性に近づくことができ、最適化を目指すことができる。サイモンは、前者のような問題を悪構造問題(ill structured problem)、後者のような問題を良構造問題(well structured problem)と呼んだ。そして、現実の問題は通常きわめて複雑な悪構造問題であり、人間の認識能力で客観合理的に対応可能な問題などほとんど存在しない、と言っている。「一般的に、世界が問題解決者に対して提示する問題は悪構造問題である。(中略)問題解決者にとって、良構造問題は存在せず、あるのは悪構造問題だけであると言っても過言ではない」(Simon, 1973, p.186)*3

同論文のなかで、サイモンは、建築設計や軍艦建造などとならんで、チェスを悪構造問題の例としてあげている。チェスの駒のひとつの動きを選択するのは良構造問題だが、チェスのゲーム全体は悪構造問題なのである。

 

3.問題解決アプローチ

では、そのような悪構造問題に対して、どのような問題解決アプローチがありうるのか? チェスの例が示しているように、大きな悪構造問題を小さな良構造問題に分割するのである。サイモンの観察によると、「問題解決のための努力の多くは、問題を構造化することに向けられ、努力のごくわずかな部分が、構造化された問題の解決に向けられる」(Simon, 1973, p.187)。

同論文のなかで、サイモンは悪構造問題の解決システムを模式図でもって示している。それは、最初のとっかかりとなる問題の定義、その問題の解決に必要な情報の収集、問題の再定義、解決策の選択と試行、解決策の修正、問題の定義といったループをなすシステムで、問題全体の解決にむけて、このプロセスが何度も繰り返される。

ただし、この繰り返しは、最終的な解決策が求められるまで繰り返されるわけではない。なぜなら、限定合理性のもとでは、求められるのは、最適化ではなく、満足化だからだ。そのため、この繰り返しは、問題解決者が「これで十分」と思ったところで終わる。すなわち、悪構造問題の解決には「ストップ・ルール」が適用されるのである(Voss & Post, p.281)*4

 

前回と今回で、H. サイモンの限定合理性について見てきた。
まとめると、人間の知力には限界があり、その合理性は限定的である。加えて、世界の問題は複雑に絡み合った構造をもつ悪構造問題である。そのため、人間の合理性をもって悪構造問題を解決することはできない。そこで、問題解決にあたっては、悪構造問題を小さな良構造問題に分割し、良構造問題をひとつひとつ解決することを繰り返し、最適化ではなく、満足化をめざす。

 

今回はずいぶん長くなった。
満足化と悪構造問題で2回に分けようかとも思ったが、ひとつづきの流れとして説明したほうが理解しやすいだろうと思い、あえて1回にした。いつになく情報量が多いので、じっくりゆっくり読んでもらいたい。

次回は、行動経済学の話しです。
なぜプロジェクトマネジメントで行動経済学の話しか?
こはちゃんとつながるのでご心配なく。お楽しみに。

では、また。

*1:Simon, H. (1958). “The Decision-Making Schema”: A Reply, Public Administration Review, Vol.18, No.1. またサイモンはこうも言っている。「経営理論とは、意図されているが同時に限定されている合理性に固有の理論であり、いいかえれば、最大化できるような理性をもたないために、満足化をはかる人間行動についての理論である。」(経営行動, p.184)

*2:サイモン, H.(著)、二村敏子, 桑田耕太郎, 高尾義明, 西脇暢子, 高柳美香(共訳)(2009)『経営行動:経営組織における意思決定プロセスの研究(第4版)』ダイアモンド社.

*3:Simon, H. (1973). The Structure of Ill Structured Problems, Artificial Intelligence, 4.

*4:Voss, J. F. and Post, T. A. (1988). "On the Solving of Ill-Structured Probems." In Chi, M. T. H, Glasar, R. and Farr, M. J. (eds.), The Nature of Expertise. New York: Psychology Press

たとえば"政策"といった問題解決手段(政策は、現状が満足のいかない状態のとき、すなわち現状に問題があるときにのみ策定・変更されるので、問題解決手段である)は、合理的であるという「知的」検証に耐えねばならないと同時に、関係者の調整・交渉の結果であるという「社会的」検証にも耐えねばならない(Robinson and Majak, 1967)。前者は最適化を、後者は満足化をめざすものである。しかし、前者は人間の限定合理性ゆえに検証に耐えない。後者は人々のあいだに存在する「価値選好」の本質的な相違ゆえに検証に耐えない。つまり、人によって満足度は異なり、すべての関係者を満足させることはできないということである。これについては、漸増主義(リンドブロム)のところで再度とりあげる。

計画5:限定合理性(1)

前回までで、合理主義的計画と漸増主義的計画を概観した。概観だったので物足りないところも多かったと思うが、今回から各論に入る。ここからが本題である。

概観したところでは、合理主義的計画は、工学的な領域では有効であっても、社会的な領域では必ずしもうまくいかない、なぜなら、社会的な問題はきわめて複雑で、われわれはそれを適切に分析し適切な改善計画を立てられるほど合理的ではないから、ということだった。

では、われわれ人間の合理性はどのようなものなのか? ここから数回は、H. サイモンの「限定合理性」を巡って、人間の合理性の限界と、それが示唆する計画のありかたについて考える。

第2回でも紹介したが、ハーバート・A・サイモン(Herbert A. Simon)(1916年~2001年)は、広範な分野で研究活動を展開し、チューリング賞(1975年)やノーベル経済学賞(1978年)を受賞した、20世紀の知の巨人である。その研究分野は、行政学、経済学、経営学政治学、心理学、社会学統計学、論理学、認知心理学コンピュータサイエンスなど、きわめて広範にわたる。だが、その関心は一貫していた。すなわち、組織における意思決定とその合理性である*1。彼がAI(人工知能)の先駆的研究に取り組んだのも、人間の合理性のメカニズムを解明しシミュレーションせんがためであった。そして、その研究をみちびいてきた基本的概念が「限定合理性」(bounded rationality)*2である。

サイモンによると、人間が意思決定をするにあたって真に合理的*3であるためには、以下の3つの要件を満たしていなければならない(サイモン, 1976, p.102)*4

1.意思決定にさきだってすべての選択肢をパノラマのように概観できる。
2.それぞれの選択肢を選んだ場合に起こるであろう結果をすべて考慮できる。
3.全選択肢のなかからひとつを選ぶ基準となる価値体系をもっている。

言うまでもなく、現実の人間はこれらの要件を満たしていない。「かかる状態のもとでは、実際の行動においては、合理性に近づく方法すら思いも及ばない」(サイモン, 1976, p.87)。つまり、人間は客観的合理性をもって行動する存在ではない、とサイモンは結論づけたのである。そして、このように限界をもつ人間の合理性を「限定合理性」と呼び、この概念はサイモンの代名詞ともなった。

もちろん、サイモンは、人間は合理的ではない、という単純なことを言ったのではない。彼の関心は、このような限定合理的な人間が意思決定を行なう組織において、いかにして組織としての合理性を高めることができるのか、といったことにあった*5。しかし、本ブログの関心は、さしあたり、人間が限定的な合理性をもって合理主義的計画を立案し実行することの妥当性を考えることにあるので、ここでは、サイモンの主要関心事である組織の合理性についてこれ以上深入りしない。

短いが、今回はここまでとする。
人間の合理性が完全ではないという、分かりきったことを確認しただけだと思われるだろう。だが、以前にも書いたように、その分かりきった事実を人間は受け止めていない。経済学は客観的合理性をそなえた経済人(ホモエコノミカス)を前提にしてきたし、われわれは今も多くの場合、合理主義的計画を適用してプロジェクトを計画・実行・評価している。では、限定合理性の認識を受け止めると、プロジェクトマネジメントはどのように見えるのか、そして、どうあるべきなのか。次回以降、こういった方向で話しを進めていく。

ということで、今回は、サイモンの限定合理性を確認した。
次回は、満足化や悪構造問題など、少し限定合理性の補足説明をする。
そのうえで、次々回は限定合理性の概念を受けた経済学の変化、すなわち行動経済学の話しをし、その後、限定合理性をふまえたプロジェクトマネジメントの話しへと進んでいく。

では、また。近いうちに。

*1:サイモンのノーベル経済学賞受賞理由は「経済組織における意思決定過程の先駆的研究」である。経営学では初めてのノーベル賞受賞であった。

*2:Bounded rationalityは、限界のある合理性、限定された合理性、制約された合理性などさまざまに訳されているが、経済学の領域では限定合理性が定訳となっている。

*3:サイモンはこれを客観的合理性(objective rationality)、完全合理性(perfect rationality, complete rationality)、全的合理性(global rationality)などと呼んでいる。

*4:サイモン, H.(著)、松田武彦・高柳暁・二村敏子(共訳)(1976)『経営行動:経営組織における意思決定プロセスの研究(第3版)』ダイアモンド社.

*5:人間の合理性が限定的であるということは、裏を返せば、その限定内では合理的であることを意味する。したがって、個人から合理的な行動を引き出すためには、組織内において、個人が意思決定を行なう状況を限定すればよい。具体的には、組織目標に適合的で、その個人の意思決定に必要な情報を与え、全体状況のなかの特定の側面に注意を向けさせるのである。すなわち、組織が存在することによって、個人が客観的合理性に無理なく近づくことが可能になるのである(サイモン, 1976, p.102)。限定合理性とは、そのように限定された範囲内において合理的であることを意味する、との解釈もある(吉野, 2014, p.85)。

計画4:合理主義的計画と漸増主義的計画(3)建設プロジェクトの場合

前回、次は限定合理性の話しをします、と予告したが、面白い論文をみつけたので、今回はちょっと道草を食うことにする。といっても計画の話しだけど。
しばらく抽象的な話が続いたので、すこし具体的な話しで息抜き(?)をするのもいいんじゃないだろうか。

 

まずは、道草ついでに、ひとつお知らせ。ブログのタイトルを「プロジェクトマネジメントを哲学する」に変更しました。

「プロジェクトマネジメントのあれやこれや」では、あんまりぼんやりしていて、いったい何がテーマなのかわからない。それに、もともとやりたかったことが「PMを哲学する」ことなので、話しが進むほど哲学する話しになってくる。なので、とっつき悪いかもしれないけど、ブログの内容をより的確にあらわしている「プロジェクトマネジメントを哲学する」に変更することにした。

もっといいタイトルを想いついたら、また変更するかもしれないけど、しばらくはこれで様子を見ようと思う。

 

では、今回の本題。

工学系プロジェクトの最右翼のひとつと思われる建設プロジェクト*1でも、本社で作った計画はロッカーにしまい込まれ、現場では現場の状況に応じた短期計画を立て直し立て直しして工事を進めている、という話し。

論文のタイトルは、"Is construction project planning really doing its job?"(Laufer & Tucker, 1987)*2。かなり古いけど、計画の本質的な問題に関わることなので、状況は今でも大きくは変わっていないんじゃないかと思う。 

なお、本論文が言っている「建設」がどういう建設なのか、 説明がないので分からないが、アメリカの大手企業6社のマネジャーやプランナーと本論文の内容について協議したことが報告されており、謝辞にベクテル石油*3とガイ・F・アトキンソン(カリフォルニアの土木建設会社)*4の名前があがっている。

こういった会社の建設プロジェクトでは、会社が作った正式(formal)の計画が現場事務所の壁に張り出してあることが非常に多い。だが、工事は、ときには正式の計画とはまったく異なる、現場で作った非公式(informal)の短期計画によって実行される。

正式の計画が使われない理由をいくつかあげると、
・資機材の調達が計画どおりにいかない、
・多様で複雑なプロジェクトの構成要素を統合させるのが極めて難しい、
・多くの異なるレベルの意思決定のすべてに従うことがほとんど不可能、
・正式の計画は最適化を目指して作られるが、現場で求められるのは満足化*5
などの理由があげられる。

そして、もうひとつあげると、正式の計画は管理(control)を目的としているが、現場では実行(execution)が最重要課題である、という齟齬がある。

つねに管理されているという思いは、現場のマネジャーたちを苛立たせる。最前線に立つ現場監督たちは、昨日の問題の報告書作りに追われ、今日・明日の作業に集中できない。来週の計画を立てるよりも、先週起こったことを正当化する理由を考えることにエネルギーを使ったほうが得策だということになる。

この管理の偏重は、現場で作られる短期計画にも悪影響を及ぼす。短期計画を、望ましい未来の創造に向けた前向きの計画(prospective planning)ではなく、過去の決定によって生じた問題に対応するための後ろ向きの計画(retrospective planning)にしてしまう。

こうして、現場のマネジャーたちは正式の計画を無視するようになり、皮肉なことに、正式な計画が意図した管理もできなくなる。そして、意図したこととは逆の現象が起こる。計画と現状がどんどん乖離していくため、仕方なく、正式の計画を現状に合わせて変更することになるのである。

そして、「計画が終わったら、計画書は机の引き出しにしまっておけ。それでも90%の利潤はあげられる」という格言が建設業界で囁かれることになる。

ここには、計画に関する本質的な問題が横たわっている。計画は「未来の予測」なのである。計画は「予測し備えること」(Ackoff, 1983)*6である。しかし、誰もが知っているように、予測ははずれる。標的が遠くなればなるほど、予測ははずれる。したがって、計画が通用するのは、ごく近い未来(now or soon)までなのだ。

 

長くなったので、論文紹介はこれくらいにしておく。

ひとつ追加しておくと、なぜ予測ははずれるかというと、「未来を読む水晶玉は存在しない」(平鍋・野中, 2013, p.57)*7からだ。

この論文には、計画が予測であること、人間の合理性には限界があり予測(計画)ははずれること、そのため現場は漸増的な短期計画で事業を進めていること、計画は最適化ではなく満足化を目指して作成されること、等々、本ブログで今後とりあげようと思っているテーマの多くが盛り込まれていて、ちょっとびっくりした。

1980年代末のアメリカの建設業界の様子も具体的に描かれていて、なかなか面白い。今でもわれわれのまわりにこういう状況あるよなあ、と思ってしまう。

他にも、PERT/CPM(クリティカルパスを求めて最短所要日数を算出するスケジューリング手法)が、本論文が書かれた1987年当時ですでに30年にわたってもちいられてきていたが、その効果はごく限られたもので、ある調査によると、その成功率は15%だったことなどが報告されている。

とても面白い論文なので、興味のある方はどうぞ。ネットからダウンロードできます。

 

ということで、閑話休題
次回は本筋にもどって、H. サイモンの限定合理性の話しをします。
また抽象的な話しです。だって、PMを哲学するんだから。
では、また。

*1:アポロ計画に住民はほとんど関わってこないが、インフラ建設に住民は大いに関わってくるので、建設プロジェクトは工学系プロジェクトの最右翼ではないのかもしれない。建設にもいろいろあるので一概には言えないが。

*2:Laufer, A. and Tucker, R. L. (1987). “Is costruction project planning really doing its job? A critical examination of focus, role and process,” Costruction Management and Economics, 5:3, pp.243-266.

*3:Bechtel Petrolium Inc.

*4:Guy F. Atkinson Co.

*5:最適化(optimizing)と満足化(satisficing)は限定合理性に関連してH. サイモンが提起した概念である。詳しくは、次回、限定合理性の話しのなかで説明する。

*6:Ackoff, R. L. (1983). "Beyond prediction and preparation," Journal of Management Studies, Vol.20, pp.59-69.

*7:平鍋健児・野中郁次郎(共著)(2013)『アジャイル開発とスクラム:顧客・技術・経営をつなぐ協調的ソフトウェア開発マネジメント』翔泳社.

計画3:合理主義的計画と漸増主義的計画(2)

漸増主義(incrementalism)*1は合理主義に対する批判として生まれたもので、人間の合理性の限界の認識にもとづいている。

合理性の限界とは、ハーバート・サイモン(H. Simon)が提起した概念で、現実の問題はきわめて複雑であり、それを認識する人間の能力には限界がある、というものである。

これだけを聞くと、そんなことは百も承知、と思われるかもしれないが、世の中はこの認識を踏まえてはいない。経済学はつねに経済合理的な選択を行なう経済人(ホモエコノミカス)を前提に経済理論を構築してきたし、地域医療計画(RMP)のような社会的なプロジェクトにも合理主義的計画を適用してきた。

アポロ計画の場合、それを構成する主要な要素は、ロケット、司令船、月着陸船、それらの操縦システムだった。それぞれが複雑であり、それらを統合した「アポロ宇宙船」はさらに複雑な統合体だった。とはいえ、それらは人間が作ったものである。だから、作った人間はそれらを隅々まで熟知していて、コントロールできた。だから合理主義的計画でうまくいった。

一方、RMPの場合、その対象は人間であり社会だった。人間は人間や社会を熟知していないし、それらをコントロールする手段をもちあわせていない。さらに、医療の場合、人間は生命や病気の本質について完全な知識をもっているわけではない。つまり、RMPの場合、その対象は人間の合理性の限界を超えていた。だから、合理主義的計画はうまくいかなかった。

漸増主義的計画は、こういった人間の合理性の限界を認める立場に立つ。

漸増主義的計画は、あらかじめ目標を設定することを否定する。現実の問題はきわめて複雑で、その構造は歪んでいる(ill structured)。そのような問題を正しく分析し、適切な解決策を考え、あらかじめ合理的に目標を設定するのは現実的ではない、と考える。

それよりも、当面問題となっている事柄と、それに直接関係する事柄だけに関心を絞り、その解決に取り組むこと、そして、これを繰り返し、漸増的に、小さな改善を積み重ねていくほうが、現実的であり、結局は大きな進歩をもたらす、と考えるのである(Lindblom, 1965)*2

 

以上、郡司(1991)に依拠した、合理主義的計画と漸増主義的計画の概観はここまでとする。

言うまでもないことだが、だから合理主義はだめだとか、合理性は必要ないとかいう話しではない。何かをなしとげようとするときに、暫定的にでも目標を設定する必要はあるし、そこに向かって可能な限り合理的な手順をたどる必要はある。ただ、われわれ人間の合理性には限界があることを認識し、合理主義的アプローチと漸増主義的アプローチを併用する柔軟さが求められるということである。

郡司は、ひとつの計画のなかに合理主義と漸増主義という相反するものが存在することを「計画の基本的矛盾」と呼び、計画がそのような矛盾を抱えるものであることを認めている(中俣・郡司, 1992, pp.777-778)*3。合理主義か漸増主義かという、あれかこれかの問題ではなく、計画はその両者をどうしようもなく抱え込んでいる、と言っているのである。

また、共同体主義の代表的論者であるアミタイ・エツィオーニ(A. Etzioni)は、社会的意思決定において、合理的モデルと漸増的モデルを融合させた第3の意思決定アプローチ Mixed-Scanning Model を提唱している*4。つまり、あれかこれか(either-or)の問題ではなく、あれもこれも(both-and)というアプローチが必要だということだ。(Mixed-Scanning Model については、改めて紹介の機会を持つつもりです。) 

 

前回と今回で合理主義的計画と漸増主義的計画を概観した。概観だったので、食い足りない思いを抱いている向きもあろうと思うが、次回以降、サイモンやリンドブロムの原典にあたって、合理主義と漸増主義についてさらに深めていくので、今後に期待していただきたい。

ということで、次回は H. サイモンの「限定合理性」の話しです。これは、行動経済学につながる話で、面白い!

では、また。

*1:漸進主義、増分主義ともいう。

*2:Lindblom, C. (1965). The Intelligence of Democracy. New York: The Free Press.

*3:中俣和幸・郡司篤晃(1992)「わが国における保健医療計画の基本的問題についての検討(1)―計画とは何か」『公衆衛生』Vol. 56 No. 11 pp.776-781.

*4:Etzioni, A. (1967). "Mixed-Scanning: A "Third" Approach to Decision-Making," Public Administration Review, 27-5, pp.385-392

計画2:合理主義的計画と漸増主義的計画(1)

合理主義的計画と漸増主義的計画の対立構図は、郡司篤晃氏の論文*1で概観され要領よくまとまっているので、今回は、氏の論文に依拠して書かせてもらう。

通常われわれが計画と聞いて思い浮かべるのが、合理主義(rationalism)にもとづく計画、すなわち合理主義的計画(rationalistic planning)だと言っていいだろう。

合理主義的計画は、1) 目標を設定し、2) 目標達成のための案(手段)を複数考え、3) それらの案を比較評価し、4) 最も良い案を選ぶ、というプロセスをとる。つまり、複数の案のなかから最良(optimum)の案を選んでいるのである。

(PCM(Project Cycle Management)に馴染みのある方は、PCM計画立案が同様のプロセスをとっていることに気づいただろう。言うまでもなく、PCMの計画手法は何ら特別なものではなく、ごく当たり前の計画プロセスにしたがっており、そして、合理主義的計画手法なのだ。)

合理主義的計画は、1960年代のコンピュータの実用化によって強力な後押しを受けた。たとえば、宇宙開発でソビエトに後れをとったアメリカは*2NASAによるアポロ計画*3を立ち上げ、1969年にアポロ11号による有人月面着陸を成功させた。このプロジェクトの成功によって合理主義的計画に対する評価が高まり、工学以外の分野にも、合理主義的計画が広くもちいられるようになった。

そのひとつの例が、1965年に発足した地域医療計画(RMP: Regional Medical Program)である。これは、行政区画にこだわらず、医科大学などを中心とした広い地域を単位として、心臓病、癌、脳卒中などの低減を目指した医療計画で、計画・実行・評価(plan-do-see)を明確に意識した合理主義的計画として立案された。しかし、RMPはさしたる成果をおさめることなく、人々の関心は、その後登場した保健維持機構(HMO: Health Maintenance Organization)の民間保険による医療提供システムに移っていった。

このようなことが度重なり、合理主義的計画は、工学的な領域では有効であっても、社会的な領域では必ずしもうまくいかない、という評価が定着していった。

(ということだが、開発援助の世界では、もっぱら社会開発系のプロジェクトを実施しているにもかかわらず、いまだに、大した疑問を抱かれることもなく、合理主義的計画にもとづいてプロジェクトが実施されている。)

このような合理主義的計画に対する批判として登場するのが、漸増主義的計画である。

短いが、今回はここまで。
今回は、合理主義的計画を概観した。
次回は、漸増主義的計画を概観する。

なお、本ブログのテーマとしては、特に分野を限定しないプロジェクトマネジメントを想定しているが、筆者は、開発コンサルタントを本業としているため、時々、開発援助の世界の話しをしたくなる。そういうときは、上記のように括弧書きするので、括弧書きで開発援助の話しが始まったら、関心のない方は飛ばし読みしていただきたい。読んでみて、ほう、日本の開発援助の世界はこんななのか、と思っていただくのも一興かもしれないが。なにせ、政府開発援助(ODA)は、みなさんの税金で行なわれているのだから。

では、また。

*1:郡司篤晃(1991)「地域福祉と医療計画―医療計画の基本的諸問題」『季刊・社会保障研究』Vol. 26 No. 4, pp.369-384.

*2:1957年のソビエトによる人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げ成功の報を受けて、西側諸国に衝撃と危機感が走った。これをスプートニク・ショックという。

*3:アポロ計画は、NASAのホームページを見るとわかるが、Apollo Program であって、Apollo Project ではない。これはプログラムとプロジェクトの違いを示す絶好の例になっている。アポロ計画は、アポロ1号、アポロ2号、アポロ3号、… といった「複数のプロジェクトを有機的に連携させた統合的な事業」すなわちプログラムなのだ。

計画1:計画とは何か

計画論に入るにあたって、一応、計画とは何か、すなわち「計画の定義」を確認しておく。

「計画」や「計画論」といった言葉に大方の研究者が了解するような定義は存在しない。むしろ、1980年代初頭から始まった研究の異様なまでの(hyperactive)盛り上がりのなかで、計画論は「パラダイムの崩壊」と呼ばれるまでに細分化、断片化されていった(Allmendinger, 2002, pp.78-79)*1

計画論の大家 ジョン・フリードマン(J. Friedmann)は、「40年におよぶ活発な議論をへて、なぜいまだに計画論に関して、定義はおろか、異論を呼び起こすことなく広く受け入れられる共通理解を見出すことすらできないのか」と慨嘆している(Friedmann, 2011, p.8)*2

 そんなわけで、ここで「これ」といった定義をひとつ選ぶのは至難の業だ。なので、今回は、今後このブログにご登場願う研究者たちが、それぞれに計画をどう定義しているかを、ざっと並べて見ておくことにする。 

広範な分野で研究活動を展開し、ノーベル経済学賞チューリング賞を受賞したハーバート・サイモン(H. Simon)は、計画を「将来についての提案、代替的提案の評価、およびこれらの提案の達成方法にかかわる活動」と定義している(Simon, 1950)*3。サイモンの計画論に関しては、彼の限定合理性の議論を見たあとで、再度触れることとする。

オペレーションズリサーチやシステムシンキング、経営科学等の先駆者であるラッセル・エイコフ(R. Ackoff)は、「計画とは、未来において実現したい状態があり、一連の行動をとることによってその実現の可能性が著しく高まる場合に、それを実現するための一連の行動を分析・評価するプロセス」と定義している(Ackoff, 1970)*4。古いものだが、比較的ひろく引用されている。 

J. フリードマンは、計画策定(planning)の定義として、操作的定義(operational definition)と形式概念(formal concept)のふたつをあげている。操作的定義は、問題を定義し、状況をモデル化・分析し、ひとつ以上の可能な解決策を策定し、解決策の詳細な評価をおこなう活動というものであり、解決策の策定に、目的と目標の設定、将来予測、達成可能性の判断、活動順序の設定などが含まれる。形式概念は、知識と行為をつなぐプロセス、というものである(Friedmann, 1987, pp.37-40)*5。 つまり、計画策定とは、実践上は、問題を特定し、その解決策を考え、目標を定め、目標達成のための活動の順序を特定することであり、われわれに馴染み深い定義だといえるだろう。面白いのは計画策定の概念で、フリードマンは、計画策定は知識と行為をつなぐプロセスだと言っているのである。

MBAが会社を滅ぼす』(2006年, 日経BP社)を書いた経営学者ヘンリー・ミンツバーグ(H. Mintzberg)は、①未来を思考すること、②将来をコントロールすること、③意思決定、④統合化された意思決定、⑤意思決定を統合化したシステムの形で明確な結果を生み出す公式の手順、といった過去の研究者の定義を有効としつつ、みずからは定義を定めず、「効果的な実行に導くための最初の一歩を踏み出すことによって、意図された戦略を現実の戦略に変換する」ことを計画策定(planning)の「唯一の役割」としている(ミンツバーグ, 1997, p.354)*6。 

科学技術人類学者 ルーシー・サッチマン(L. Suchman)は、認知科学において、「プランはあらかじめ想定された目的を達成するためにデザインされた行為の系列」と見なされているとし(サッチマン, 1999, p.28)*7 、みずからはこの見方を批判している 。 

プロジェクトマネジメント標準の定義も見ておこう。

実務書ゆえに「計画」などという基本語の定義にはこだわらないのか、PMBOKにもP2Mにも、「計画プロセス」の定義はあっても、「計画」の定義は見あたらない。 

PMBOKは「計画プロセス群」を、「プロジェクトの目標達成に向け、プロジェクトのスコープを確定し、目標を洗練し、求められる一連の行動を定義するために必要なプロセス群」としている(PMI, 2018, p.23)*8

 P2Mは、「プロジェクト計画作成の目的」を、「プロジェクト完了までの実現性を確保したロードマップとしてのプロジェクト計画書を策定し、ステークホルダーの承認を獲得すること」(PMAJ, 2014, p.228)*9とし、プロジェクト計画書に何が記載されるべきかを詳細に解説している

以上、1950年のサイモン以降、およそ10年から20年ごとの定義を見たことになる。いずれも、「将来を予測し、目標を設定し、それを達成するための一連の行動を設定するもの」という骨格は共通していると言ってよさそうだ。

ということで、いささか退屈だったかもしれないが、計画の定義の話しはここまで。

次回から、合理主義的計画と漸増主義的計画の話しに入る。

では、また。

*1:Allmendinger, P. (2002). "Towards a post-positivist typology of planning theory,” Planning Theory, Vol. 1 (1), pp.77–99.

*2:Friedmann, J. (2011). Insurgencies: Essays in Planning Theory. Oxford: Routledge.

*3:Simon, A. H., Smithburg, D. W., and Thompson, V. A. (1950). Public Administration. New York: Alfred A. Knopf Inc. 邦訳:H. A. サイモン、D. W. スミスバーグ、V. A. トンプソン(著)、岡本康雄・可合忠彦・増田孝治(共訳)(1977)『組織と管理の基礎理論』ダイヤモンド社. 

*4:Ackoff, R. L. (1970). A Concept of Corporate Planning. New York: John Wiley & Sons Inc. 

*5:Friedmann, J. (1987). Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action. New Jersey: Princeton University Press.

*6:ミンツバーグ, H.(著)、中村元一・黒田哲彦・崔大龍・小高照男(共訳)(1997)『戦略計画:創造的破壊の時代』産業能率大学出版部.

*7:サッチマン, L. A.(著)、佐伯眸・上野直樹・水川喜文・鈴木栄幸(共訳)(1999)『プランと状況的行為 ―人間-機械コミュニケーションの可能性―』産業図書株式会社.

*8:PMI®(Project Management Institute®)(2017)『プロジェクトマネジメント知識体系ガイド(PMBOK®ガイド)第6版』PMI®.

*9:PMAJ(Project Management Association Japan)(2014)『改訂3版 P2M プログラム&プロジェクトマネジメント標準ガイドブック』日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ).