プロジェクトマネジメントを哲学する

計画は幻想だ、PDCAは気休めだ、などなど

計画14:計画と状況的行為(2)

では、サッチマンの「計画は状況に対応した行為を選択するための判断材料にすぎない」という主張について考えてみよう。以下、Suchman (1987) *1からの引用は、既刊の邦訳本*2によらず、本ブログ筆者の訳文をもちいる。

ついては、用語の問題だが、situated action は訳しづらい。状況に対応した行為、状況によって意味づけられた行為、状況のなかに位置づけられた行為などの意味が含まれており、ひとことでそれらすべてを包含するような訳語がないのだ。邦訳本では「状況的行為」とか「状況に埋め込まれた行為」などと訳されているが、これだと日本語だけを見ても意味がよくわからない。かといって、より適切な訳語も思いつかない。しかたがないので、ここでは、「状況に対応した行為」、「状況によって意味づけられた行為」、「状況のなかに位置づけられた行為」など、適宜、文脈におうじた訳をもちい、それらすべてを含意する場合は「状況的行為」と呼ぶことにする。
なお、サッチマンによる situated action の説明は以下のとおりである。

「situated actionという用語は、いかなる行為も、本質的に、物質的・社会的な周辺状況によって決まるということを強調するものである。行為を、周辺状況から切り離して抽象化し、合理的な計画として描くのではなく、本書のアプローチは、人々が、知的な行為をおこなうために、周辺状況をどのように活用しているかを研究するものである。」(Suchman, 1987, p.50)

ところで、うえであげた、①状況に対応した行為、②状況によって意味づけられた行為、③状況のなかに位置づけられた行為は、行為が状況的であることの3つの様態をしめしている。たとえば、ある朝、あなたは会社にむかって歩いている。するとむこうから見知った顔の人物が歩いてくる。そこであなたはかるく片手を上げて「よっ!」と声をかけた。これは①状況に対応した行為である。見知った顔の人物にであったという状況に対応して行為したのである。ところが、どこかで見た顔だと思ったその人物は社長だった! この状況によって、あなたの行為は「平社員にあるまじき無礼」という意味をおびる。②状況によって行為が意味づけられたのである。その結果、「あいつは何者だ」ということになり、社内で無礼者をさがしだして処分するという状況が発生する。すなわち、あなたの行為は③無礼者をさがしだすという状況を構成する要素となり、状況のなかに位置づけられたのである。へたくそなたとえで恐縮だが、行為が状況的であるというのはこういうことであり、われわれの行為はすべて、このようなかたちで状況のただなかにある。*3

それでは、Suchman (1987) の議論をみていこう。以下に括弧でしめすページ番号は同書のページ番号である。

同書は、前々回にふれたトラック島民の航海の話しから始まる。
ヨーロッパの航海士は海図にえがかれた計画すなわち航路をたどることで航海する。彼の努力はつねに航路上、すなわち計画上にとどまることに向けられる。予想外のできごとがおこったら、計画を修正し、修正された計画にしたがって航海はつづけられる。それに対して、トラック島民の航海は目的地から始まる。彼らは目的地に向けて出発し、発生する状況にそのつど対応する。聞かれれば、彼らはいつでも目的地をさし示すことができるが、航路をさし示すことはできない。「注目すべきは、あらかじめ準備された計画なるものは明確なかたちではどこにも存在しないということである。むしろ、彼らの航海の原則は環境とのその場その場の相互作用にあるらしいのだ」(p.187)。そして、サッチマンは、行為はすべて具体的で身体的なものだが、計画は抽象的なものだという。「一方、ヨーロッパ人の計画は、航海の普遍的な原則からみちびきだされ、彼の状況のさしせまった事態とは本質的に別のものである」(p.viii)。

そして、トラック島民の話しにつづけて、同書全体の主張が簡潔明瞭に示される。いわく、「確かに、行為についてどう考えるかということと、実際にどう行為するかということのあいだには無視できない関係がある。しかし、どのように計画されようと、目的的行為はさけがたく状況的なのだ。状況的行為というのは、たんに、特定の具体的な状況の文脈においてとられる行為のことをいう。この意味で、わたしたちはトラック島民のように振る舞わないではいられない。なぜなら、わたしたちの行為の状況はけっして完全には予想できないし、わたしたちのまわりでつねに変化しているからである。むしろ、計画は、せいぜいのところ、そもそもアドホックな行為のためのささやかな判断材料にすぎないとみなすべきである」(pp.viii-ix より筆者編集)。

このあとさらに、行為が状況的であることの例として、カヌーで急流をくだる話しや、遺伝学者の実験の話しがあげられるが、その紹介は次回にまわす。今回はここまでとする。

では、また。

*1:Suchman, A. Lucy, (1987). Plans and situated actions: the problem of human-machine communication. Cambridge: Cambridge University Press.

*2:サッチマン, A. L.(著)、佐伯胖(監訳)、上野直樹・水川喜文・鈴木栄幸(共訳)(1999)『プランと状況的行為ー人間-機械コミュニケーションの可能性ー』産業図書株式会社.

*3:この段落の説明は、状況的行為に関する本ブログ筆者の理解で、サッチマンがこのように説明しているのではない。

計画13:計画と状況的行為(1)

さて、ここまで、合理主義的計画の不合理さを、サイモンの限定合理性とゴールドラットの制約理論の観点から見てきたわけだが、最後に、"状況論"の観点から見て、合理主義的計画の話しを終わることにしたい。ここで参照するのは、ルーシー・サッチマンの "Plans and Situated Actions" (1987) *1(邦訳『プランと状況的行為』(1999年)*2)である。

状況論(situated perspective)は「人間は状況に規定されている」という見方。すなわち、認知、心理、発話、行為、学習などなど、人間のさまざまな営みは、なんらかの類型や特性にもとづいているのではなく、そのときどきの状況に対応して決定されているとする考えかたの"総称"である。総称というのは、ギブソン生態学ヴィゴツキーの心理学、サッチマンのエスノメソドロジー、レイヴ&ウェンガーの教育学など、それぞれにルーツが異なるからである*3

L. サッチマン(Lucy A. Suchman)は、人類学者で、現在(2022年6月)、英国ランカスター大学の社会学部教授として、科学技術人類学の研究にたずさわっている。ランカスター大学のまえは、22年間、カリフォルニアにあるゼロックスのパロ・アルト研究所(PARC)で、AI開発にむけた人間-機械コミュニケーションの研究にたずさわっていた。そこでの成果をまとめたのが "Plans and Situated Actions" (1987) である。

同書は、認知科学*4において支配的であったプランニング・モデルに対する痛烈な批判の書となっている。
プランニング・モデルでは、人間は、まず頭のなかで計画し、その計画にしたがって行動すると考える。だから、その計画の生成過程や類型をモデル化すれば人間の行動を予想できる。予想できれば、あたかも人間とコミュニケーションしているかのような機械、すなわち「知的な機械」*5をつくることができる、と考える。
これに対して、サッチマンは、人間はそのときどきの状況に対応して行動しており、計画は、周囲の環境や人間関係などと同様、状況に対する対応を考えるための材料(リソース)のひとつにすぎない、という。同書の後半では、プランニング・モデルにもとづいて作られた「かしこい」コピー機が使用者とのコミュニケーションに失敗し破綻をきたす、いささか滑稽なプロセスが、エスノメソドロジー*6の会話分析の手法をもちいて詳細に分析される。

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(部屋のおくで立ったり座ったりしている、ジャケットをはおった人物がサッチマンだと思う。)

ということで、今回はサッチマンと"Plans and Situated Actions"(1987)の概要を紹介した。
次回は、同書の議論の中身に入る。

では、また。

*1:Suchman, A. Lucy, (1987). Plans and situated actions: the problem of human-machine communication. Cambridge: Cambridge University Press.

*2:サッチマン, A. L.(著)、佐伯胖(監訳)、上野直樹・水川喜文・鈴木栄幸(共訳)(1999)『プランと状況的行為ー人間-機械コミュニケーションの可能性ー』産業図書株式会社.

*3:レイヴ, J. ・ウェンガー, E.(著)、佐伯胖(訳)(1993)『状況に埋め込まれた学習ー正統的周辺参加ー』産業図書株式会社, p.173.

*4:認知科学(cognitive science)とは、情報処理という観点から、生体(特に人)の知の働きや性質を理解する学問です。1950年頃に、当時全盛であった行動主義心理学(behaviorism)に異を唱える形で、人工知能(artificial intelligence)とともに、いわば双子の学問として成立したと考えられています。非常に大雑把に言うと、行動主義心理学が、生体に与えられる刺激とそれに対する反応の対(連合)という外から観察可能な事柄だけを頼りに知を捉え、刺激から反応を生じさせる生体内部の情報処理という外から観察が難しい事柄に関心を向けなかったのに対して、認知科学は、このような情報処理こそが生体の知を考える上で重要だという認識のもとに生まれました。」(日本認知科学会ウェブサイト, 2022年6月21日参照)

*5:アラン・チューリング(1912年~1954年)は、人間と機械が対話をおこない、その対話を聞いた第3者が人間と機械を区別できなければ、その機械は知的(intelligent)であると判定してよいと考えた。これをチューリング・テストという。つまり、情報処理のメカニズムがどんなに異なっていても、入力に対する出力が同じであれば、それらは同じものとみなされる、ということである。

*6:アメリカの社会学ハロルド・ガーフィンケル(1917年~2011年)がみずからの研究方法を呼ぶために作った造語。「エスノメソドロジーは(中略)社会がすでにできあがった外在的で客観的な「もの」であるという見方をとらない。むしろ「あたりまえ」で自明視される日常を、文化人類学者がつねにフィールドでとる態度のようにあえて「奇妙なもの」として見るのである。それによって開かれる世界は(中略)微細で精密な意味生成の世界である。ものごとを子細に見、細かなディテールを愛することによって(中略)見えてくるものは、つねにローカルな具体的場面で世界と織り成されていく私たちの協働的実践である。」(ガーフィンケル・H他(著), 山田富秋・好井裕明山崎敬一(共訳),「エスノメソドロジー社会学的思考の解体」1987年, せりか書房, p.10.)

計画12:制約理論(TOC)(4)

以上に見てきたところをまとめると、以下の理由から、プロジェクトは必ず遅れる。

  •  前工程から後工程に遅れのみが引き継がれる。
  •  全体のスピードは最も能力の低い工程のスピードによって決定される。
  •  各タスクはぎりぎりになるまで開始されない(学生症候群)。
  •  ひとつのタスクが完了していないのに別のタスクにとりかかる(マルチタスキング)。
  •  タスクが計画より早く終わっても報告せず、納期になるまで次工程に引き渡さない(早期完了の未報告)。
  •  仕事は与えられた時間を使い切るまで膨張する(パーキンソンの法則)。

最初のふたつは、プロジェクトが前工程に依存するタスクの一連の連なりからなっていることと、各タスクの処理能力にばらつきがあるという、ごく当たり前な事実に起因しており、これは避けられない。

このことを知ってか知らずか、合理主義的計画は、この遅れに対処するために、個々のタスクにバッファー(余裕)を見込んでプロジェクト期間を見積もるということをやってきた。だが、バッファーは役に立たない。なぜなら、上記の下の4つの理由から、作業者がバッファーを食い尽くすから。

下の4つは人間の行動特性・心理特性であり、これも避けられない。人間の合理性は限定的であり、その振る舞いは非合理なのだ。だが、ただでたらめなのではなく、一定の偏りがある。プロジェクトにおける人間の行為の偏りが、学生症候群以下の4つである。

合理主義的計画は人間が合理的に振る舞うことを前提としてきた。伝統的経済学がそうしてきたように。そして、カーネマンとトヴェルスキーが心理学的視点をもちこむことでその前提に挑戦したように、ゴールドラットもまた心理学的視点をもちこむことでプロジェクトマネジメントの前提に挑戦した。だが、ゴールドラットの挑戦は成功しなかったようだ。経済学において行動経済学が生まれたようには、プロジェクトマネジメントにおいてTOC/CCPMが大きな潮流を生むことはなかった*1。なぜなら、クリティカルチェーンクリティカルパスの欠点をおぎなうものにとどまっていたから。前回みたとおり、CCPMPERT/CPMの改良版なのだ。つまり、人間の非合理的な振る舞いを深く洞察しながらも、ゴールドラットは依然として合理主義的計画にとどまっていたということなのだろう。

そういう意味では、意識的・自覚的に合理主義を批判したサイモンやサッチマンとゴールドラットをここで並べるのは適切ではないのかもしれない。だが、作業の依存関係や、それをおこなう人間の心理特性ゆえに、「計画は必ず遅れる」というゴールドラットの洞察は、合理主義的計画を批判的にみるうえで欠かせないものだというべきだろう。

以上で、TOC/CCPMは終わりとする*2。思ったよりずいぶん長くなった。
次回は、計画は状況を判断するための材料にすぎないという、L. サッチマンの『プランと状況的行為』について考える。

*1:消え去ったわけではない。いまでも、プロジェクトマネジメント学会などでは、数10件の発表のなかに1、2件、クリティカルチェーンの報告があったりする。TOC/CCPMのその後の消息については、必要があれば、改めて調べてみたいと思っている。

*2:CCPMの解説書のなかで、著者のRobert C. Newboldが興味深い計画論を述べているので、ここにメモしておく。Newboldは、プロジェクト計画の目的はプロジェクトについての理解を深め、それを伝えることであるという。「計画は、プロジェクト実行の前と実行段階で意思決定を支援する手段として作成され、理解を深める手助けをする意味を持つ。それらは理解を伝えることによりコントロールする手段として作成される」といっており、プロジェクトのコースを示すものだとはいっていないのである。「マネジャーのなかには、計画が”正確”にならないので計画できる点がほとんどないと感じる人がいる。計画が作られた後でも、それは重要でないとか、無意味なものとさえ扱われる。一方で別の人は、計画とは常に限りなく正確なものと感じていて、たとえ不確実で推量に過ぎない状態であっても、その推量が全く正しいように振る舞う。もちろん、”正確”さが”正しさ”を意味しないし、また反対に”正確”が”誤り”の意味でもない。われわれには、常に持っている知識と持っていない知識がある。その両方の知識を体系化することと伝達することは非常に重要である。知っていることは決定を下すための唯一の合理的な基礎を提供する。知らないことは、プロジェクトの終了までになすべきことを定義する。持っていない知識を誤って仮定したり、逆にそれをやり抜く能力もないと決めつけたりせず、できる限りの最善を尽くすべきである」(『時間に遅れないプロジェクトマネジメントー制約理論の応用ー』(2005), pp.118-119)。Newboldは、プロジェクト計画は、知っていることと知らないことを峻別し、明示し、その認識を関係者と共有するための手段だというのである。これは本ブログでこれまで見てこなかった計画論だ。一考の余地あり。

計画11:制約理論(TOC)(3)

このハイキングでは、製造ラインに関して、もうひとつの重要な発見があった。ラインのスピードは、ラインのなかで最も能力の低い工程のスピードによって決定される、ということである。

ハイキングで、子供たちは一列にならんで、目的地を目指して歩いた。主人公は最後尾を歩き、列全体を見守っている。子供たちのなかに、ハービーという、ほかの子供たちよりも歩くのが遅い子がいて、ハービーの前はどんどん先に進むが、ハービーの後はつかえる。そのため、列は前後にながく伸びて見守れなくなるし、全体のスピードは遅くなり、日暮れまでに目的地に着けるかどうかあやうくなってくる。

ハービーより前の子供たちがどんなに早く歩いても、それは列全体のスピードをあげるのになんの役にもたたない。列全体のスピードはハービーによって決定されるのである。これは前回のサイコロゲームでみた、「前工程から後工程に、プラス(進み)は引き継がれず、マイナス(遅れ)のみが引き継がれる」のと同じことだ。それをラインのスピードという観点からみると、「ラインのスピードは、ラインのなかで最も能力の低い工程のスピードによって決定される」ということになる。

そこで主人公は、ハービーの荷物を全員で手分けしてもつことでハービーの歩くスピードをはやめ、前の人を追い抜いてはいけないというルールをつくったうえで、ハービーに先頭を歩かせた。おかげで、無事、明るいうちに目的地に到着できた、という話しである。すなわち、いちばん能力の低いボトルネックが全体のスピードを決定しているのだから、全体のスピードをあげるには、ボトルネックの能力を高め、かつボトルネックを適切な位置に配置すればよい、ということになる。

こうして、『ザ・ゴール』では、「遅れのみが引き継がれる」ということと「全体の能力はボトルネックの能力に支配される」という、ハイキングでのふたつの発見を出発点として、TOCの概念が構築され、TOCをもちいて工場経営をみごと立て直す、という話しになる。

『ザ・ゴール』の5年後に書かれた『クリティカルチェーン』は、TOCをプロジェクトマネジメントに適用する話で、上記のふたつの発見のほかに、プロジェクトが必ず遅れる原因が4つあげられる。これらは「作業する側の心理的側面」*1に関する洞察であって、本ブログでいっている「行動経済学のアナロジーをプロジェクトマネジメントにあてはめる」議論へとつながっていく。その議論は次回するとして、まずプロジェクトが遅れる4つの原因をみておこう。以下の通りである*2

・学生症候群:バトンを受け取ってもすぐに走り出さない。
・マルチタスキング:寄り道をしながら走る。
・早期完了の未報告:ゴールに着いたのにバトンを渡さない。
パーキンソンの法則:要求された最低タイムで走る。

学生症候群」は、時間的余裕があたえられても、時間まぎわにならないと作業をはじめないという、人間の行動特性である。学生がテスト勉強や宿題をぎりぎりになるまで始めず、結局、一夜漬けに追い込まれる様子から命名された。プロジェクトマネジメントでいうと、それぞれのタスクにバッファー(時間的余裕)を見込んでスケジュールを組んでも、各タスクはぎりぎりになるまで開始されず、バッファーは無駄になり、プロジェクトは遅れる。
「セーフティが必要だと大騒ぎする。そして、セーフティをもらう。時間に余裕ができる。でも時間的に余裕ができたからといって、すぐに作業を始めない。じゃ、いつになったら作業に取りかかるのか。結局、ぎりぎり最後になるまで始めないんです。それが人間というものです。人間だからしょうがないんです。」(『クリティカルチェーン』p.190)

マルチタスキング」は、ひとつのタスクが完了していないのに、別の作業にとりかかることである。論理的で正当な理由があって行なう作業の掛け持ち(マルチタスキング)ではなく、個人的な思いや感情で複数のタスクに手をだす「悪いマルチタスキング」をいう。
「作業員みんなが複数のタスクを掛け持ちしている。そういう状況でプレッシャーがかかるということは、つまり何人もの人からあれをやってくれ、これをやってくれと、違う作業を求められるということだ。となると作業員は、どのタスクが本当に緊急なのかわからなくなって混乱するはずだ。」…「そのとおりなんです。優先順位は、誰がどれだけ大きな声を出したかで決まるんです。」(『クリティカルチェーン』p.191)
マルチタスキングの問題は、タスクの段取りにかかるアイドル時間や、経験曲線効果の問題だけではない。そういったことを抜きにして考えても、継続してやれば10日で終わる作業を半分やった時点で他の作業が入り、たとえば10日かかったとすると、残りの半分をそのあと再開することになるので、10日で終わる作業に20日かかることになる。つまり、リードタイムは倍になるのである。

早期完了の未報告」とは、タスクが計画より早く終わっても報告をせず、納期になるまで次工程に引き渡さないことをいう。タスクを早く終わらせても担当者個人にメリットがないときや、早く終わったことが次回の計画に反映されてしまうなどのデメリットが想定されるときに起こる。
「(予定より早く作業が終わったとしても、次の作業は)もともと予定していたタイミングでスタートします。予定より早く作業を終わらせても、最初のステップはそれを報告しないからです。現状の仕組みでは、作業を早く終わらせても何もご褒美はないんです。いやそれどころか、ペナルティが課されます。もし作業を早く終えたら、上はできるものだと思って、次からは時間を短縮しろとプレッシャーをかけてきます。」(『クリティカルチェーン』p.184)

パーキンソンの法則」は、英国の歴史学者政治学者 C. N. パーキンソン(1909年-1993年)が提唱した、「仕事は与えられた時間を使い切るまで膨張する」という法則である*3
「2週間かかると言えば、実際には2週間ちょっとかかる。そこでセーフティタイムを足して3週間に伸ばす。しかし3週間かかると言えば、3週間ちょっとかかる。つまり期間を見積もると、それに甘んじてしまって作業も遅れてしまうのよ。」(『クリティカルチェーン』p.76)

クリティカルチェーン』では、これらの洞察をもとに、クリティカルパス(PART/CPM)の欠点をおぎなった「クリティカルチェーン」が提案される。
たとえば、通常の所要期間見積では、各タスクにバッファー(時間的余裕)を見込んで見積もりをおこなうが、クリティカルチェーンでは、各タスクにはいっさいバッファーを見込まず、ぎりぎりの時間で見積もる。なぜなら、上記の4つの理由から、バッファーを見込んでもそれは無駄になるから。そのかわりに、作業の合流地点とプロジェクトの最後にバッファーをおき、個々の作業の進捗ではなく、バッファーの消耗状況でプロジェクト全体の進捗を管理する。また、各タスクにはバッファーがないので、各作業員は、前工程から作業をうけとったら全速力で作業を進め、終わりしだい次工程に引き渡す。これは、バトンを受け取ったらすぐに走り出し、ゴールに着いたらすぐにバトンを渡すことから、「リレー走者の原理」と呼ばれる。詳細は割愛するが、これがクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメント(CCPM)である。
小説では、大学講師である主人公が学生たちとの議論を通じて考案したCCPMが広く企業に受け入れられ、あやうくなっていた大学経営をたてなおす、という話しにつながっていく。

ということで、TOC/CCPMの主要な論点は紹介し終わったので、今回はここまでとする。
次回は、プロジェクトマネジメントに人間の心理に関する洞察をとりこもうとした事例としてのTOC/CCPMについて考えて、TOC/CCPMの最終回としたい。

では、また。

*1:クリティカルチェーン』p.250

*2:西原隆、栗山潤(著)(2010)『TOC/CCPM標準ハンドブック:クリティカルチェーン・プロジェクトマネジメント入門』秀和システム, p.131

*3:他にもいくつかある。第1法則:仕事は与えられた時間を使い切るまで膨張する。第2法則:経費は収入に見合うだけかかる。第3法則:拡大は複雑化をまねき、複雑なものは最後には朽ち果てる。第4法則:作業グループの要員は作業内容にかかわらず増加する。(R.C. Newbold(著)、石野福弥(監訳)(2005)『時間に遅れないプロジェクトマネジメントー制約理論の応用ー』共立出版株式会社, p.29)

計画10:制約理論(TOC)(2)

ということで、制約理論とクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメントの中身の話しに入る。以下、制約理論(TOC: Theory of Constraints)*1TOCクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメント(CCPM: Critical Chain Project Management)はCCPMと呼ぶ。依拠するおもな文献は、ゴールドラットの『ザ・ゴール』(1992年、邦訳2001年)*2と『クリティカルチェーン』(1997年、邦訳2003年)*3とする。

『ザ・ゴール』は、生産性が低く赤字がつづいていた工場を、TOCの考え方をもちいて立て直す話しである。だから、テーマは製造業の製造ラインの話し。『クリティカルチェーン』は、『ザ・ゴール』での経験をプロジェクトに適用する話しで、こちらのテーマはプロジェクトマネジメント。どちらもTOCがもとになっているが、TOCがより詳しく説明されているのは『ザ・ゴール』なので、まずはこちらを読むことをお勧めする。小説としても『ザ・ゴール』のほうがずっと面白い。

『ザ・ゴール』では、まず、「計画は必ず遅れる」ことが検証される。その理由は、製造ラインが複数の工程からなる一連の依存的事象であり、各工程の処理能力には統計的変動があるためである*4。要するに、製造ラインではひとつまえの工程の成果を受けて次の工程が仕事をするということ(依存的事象)と、それぞれの工程の処理能力は同じではなく「ばらつく」ということ(統計的変動)である。このふたつの性質のため、生産は必ず遅れる。このことが、小説では、ハイキングの途中で子供たちがやるサイコロゲームで説明される。

ゲームでは、キャンプ用のアルミ椀を5つならべ、はしにマッチ棒をおく。お椀が製造工程で、マッチ棒が製品(仕掛品)である。それぞれのお椀のところに子供がひとりずつつき、順番にサイコロをふり、出た目の数だけ自分のお椀から次の人のお椀にマッチ棒を移動させる(依存事象)。サイコロの目は1から6のあいだで変動するので、これが各工程の処理能力の違いをあらわす(統計的変動)。動かせるのは自分のお椀のなかのマッチ棒だけなので、サイコロを振って5が出たとしても、自分のお椀にマッチ棒が2本しかなければ2本しか動かせない。マッチ棒が1本もなければ、もちろん1本も動かせない。また、全員が順番にサイコロを振り、1ラウンド終わったときにお椀に残ったマッチ棒は、そのまま残して次のラウンドに進む。つまり、各工程の仕掛品として残るわけである。
1回サイコロを振って動かせるマッチ棒の数は、最高が6本で最低が1本だから、平均すると1回に3.5本動かせることになる。10ラウンドくりかえせば、35本のマッチ棒が5番目のお椀から出てくることになる。さて、子供たちが10ラウンドやってみて、何本のマッチ棒が5番目のお椀から出てきただろう? これが、なんどやっても、20本ほどしか出てこないのである。

実は、筆者も、暇にあかせてやってみた。1ラウンド目22本、2ラウンド目28本、3ラウンド目24本と、35本には遠くおよばない。さすがに何10ラウンドもやってみるほど暇ではないので3ラウンドだけにしたが、どうやら、これは偶然ではないようだ。だとすると、各工程の平均処理能力から予測した、10ラウンドやれば35個の完成品を生み出せるという「計画」は成立しない。すなわち「計画は必ず遅れる」。

これは、各工程が依存関係にあるラインでは、前工程から後工程に、プラス(進み)は引き継がれず、マイナス(遅れ)のみが引き継がれることをしめしている。前工程のプラスを引き継ぐためには、後工程は、前工程と同じかそれ以上の処理をする必要がある。サイコロゲームでいうと、前の人が平均以上の目(4, 5, 6)を出した場合、自分は、それと同じかそれ以上の目を出さないと、前の人のプラスを後の人につなげないのである。だが、もちろんそれ以下の目が出ることもある。そして、それ以下の目が出た場合、目の数だけのマッチ棒が後の人に引き継がれ、余りは仕掛品として残る。逆に、前の人が小さい目を出した場合、引き継げるのはその目の数のマッチ棒だけなので、自分がどんなに大きな目を出しても、後の人に引き継げるのは、前の人から受け取った数のマッチ棒だけある。つまり、依存関係にあるラインでは、遅れだけが引き継がれる。すなわち、計画は必ず遅れるのである。

 

お分かりいただけただろうか。ゲームを文章で表現するのは、けっこう難しい。申し訳ないので、マッチ棒ゲームを分かりやすく説明してくれているサイトにリンクをはっておきます。こちら↓です。

「2つの勘違い」は工程のバランス追求が発生源:利益創出! TOCの基本を学ぶ(4)(1/3 ページ) - MONOist


今回はここまで。
TOC/CCPMの話しは1回で終わらせるつもりだったのに、意外と長くなりそう。
次回は、上記以外の「計画は必ず遅れる」理由をいくつか紹介します。それが、ゴールドラットがプロジェクトマネジメントに心理的視点をもちこんだアプローチです。
では、また。

 

*1:TOCは、「制約条件の理論」や「制約条件理論」などとも訳されるが、ここでは「制約理論」と呼ぶ。constraintsを「制約条件」と訳すことについては多少、言いたいことがあるが、またの機会にゆずる。

*2:ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2001)『ザ・ゴール:企業の究極の目的とは何か』ダイヤモンド社

*3:ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2003)『クリティカルチェーン:なぜ、プロジェクトは予定通り進まないのか?』ダイヤモンド社

*4:『ザ・ゴール』p.165

計画9:制約理論(TOC)(1)

ということで、今回は、ゴールドラットの仕事について見る。

エリヤフ・ゴールドラットEliyahu Goldratt)(1947年~2011年)は、イスラエルで物理学を専攻する学生だったが、工場を経営する知り合いから相談を受け、生産スケジューリングに関する独自な考え方と、それにもとづくソフトウェアOPT(Optimized Production Technology)を開発した。OPTの評価は高く、ゴールドラットは、大学卒業後まもなく、OPTの普及とコンサルティングをおこなう会社*1を設立した。会社は、米国ゼネラル・エレクトリック社(GE)のプロジェクトで大幅な収益改善を実現するなどして、成長企業となった。しかし、40万ドル(約9,500万円*2)という価格がネックとなり、OPTの売り上げは期待したほど伸びなかった。

そこで、1984年、ゴールドラットは、OPTの考え方を広く紹介するために、プロのライターの助けをかりて、当時としては珍しかったビジネス小説を書いた。それが、10数か国語に翻訳され、世界で200万部*3を売り上げた『The Goal』(邦訳2001年*4である。

『The Goal』は発売とほぼ同時にベストセラーとなった。しかし、読者からの反応はゴールドラットにとってショックだった。小説に書かれているとおりに工場改善をおこなったら劇的な成果があがった、という報告がぞくぞくとあがってきたのである。つまり、15ドルの小説を読んでその考え方を導入することが、40万ドルのソフトを導入するのと同様の効果をあげたのである。これではOPTの存在価値がない。

また、当時、OPTを導入して効果をあげた大企業の工場で後戻り現象がみられたということもあった。OPTによって生じた効果が、徐々に縮小・後退しはじめたのである。ゴールドラットはそれをソフトウェアの限界と考えた。多くの工場では、たんにソフトウェアを導入して生産ラインの効率をあげただけで、コスト重視の考え方や、パフォーマンスの評価指標などが従来のままだったために、工場全体は以前の生産方法にもどっていったのである。

これらのことを契機として、ゴールドラットは、自ら設立した会社を退職し、OPTの基本原理となる「考え方」を発展・普及させることを目的に、新たな協会*5を設立した。

OPTの基本原理となる考え方は、制約理論(TOC: Theory of Constraints)で、それをプロジェクトマネジメントに応用したものがクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメント(CCPM: Critical Chain Project Management)だが、これらについては次回、紹介する。

 

今回は、TOCCCPMを紹介するつもりだったが、その背景となるエピソードが面白かったので、そちらを紹介していたら長くなってしまった。
ということで、次回は、本題にもどって、プロジェクトマネジメントに心理学的視点をもちこんだTOCCCPMについて考えます。
では、また。

 

*1:Creative Output Inc.

*2:1USドル=237.5円(1984年)

*3:『制約理論(TOC)についてのノート』(小林英三, 2000年, ラッセル社)による。何年時点の売り上げかは不明。Wikipediaによると、2014年時点で1,000万部とのこと。

*4:ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2001)『ザ・ゴール』ダイヤモンド社

*5:Avraham Y. Goldratt Institute (AGI)

計画8:行動経済学からプロジェクトマネジメントへ

ここで、プロジェクトマネジメントの話しにもどる。

ここまでの話しを簡単に振り返っておこう。計画論の話しをしているのだった。計画には合理主義的計画と漸増主義的計画があり、伝統的プロジェクトマネジメントは前者に立っている。だから、人工物をおもな対象とするアポロ計画はうまくいったが、人間や社会を対象とする地域医療計画はうまくいかなかった。なぜなら、人間や社会は合理的ではないから。そこから、合理主義的計画は、工学的な領域では有効であっても、社会的な領域では必ずしもうまくいかない、という評価が定着した。だが、それにもかかわらず、いまだプロジェクトマネジメントの主流は合理主義的計画を前提としている。(筆者が生業としている開発援助も、人間や社会を対象とする社会開発事業だが、依然として合理主義的計画にもとづいてプロジェクトをおこなっている。例外的な動きも見られるが、それについては回を改めて紹介する。)

一方、経済学においては、人間を完全合理的な存在としてきた伝統的経済学に対して、サイモンが人間の限定合理性を指摘し、その流れのもとにカーネマン*1とトヴェルスキーのふたりの心理学者が、非合理的なふるまいをする“現実の人間”をモデルとする行動経済学への道をひらいた。

ということで、本ブログのまず第一の論点は、行動経済学のアナロジーをプロジェクトマネジメントにあてはめてみることである。

筆者がプロジェクトマネジメントに関わるようになったのは、いまから20年ほど前だが、そのころから、書籍やプロジェクトマネジメント協会(PMI)*2のニュースレターなどで、「70%のプロジェクトは失敗している」ということが盛んに喧伝されていた。そして今でも、「70%のプロジェクトは失敗している」という記事をみかける*3。このデータが本当なら、この20年間、プロジェクトマネジメントは役に立っていないし、改善されていないことになる*4。本ブログの「計画:4」でも、工学系のプロジェクトにおいてすら正式な計画は使われず、現場が現場のために作った計画が使われていることや、PERT/CPMの成功率が15%であることなど、見たとおりだ。

そうだとしたら、プロジェクトが計画どおりに進まないのは、プロジェクトチームに問題があるというよりも(それも少なくはないだろうが)、計画どおりに進めようとすることにそもそも無理があるのではないかと考えるべきだろう。

そして、行動経済学のアナロジーをあてはめるなら、プロジェクトマネジメントにおいてもまた、限定合理的な人間という現実をうけいれ、心理学的視点をとりこみ、プロジェクトをおこなう“現実の人間”の行動モデルにもとづいたプロジェクトマネジメントを考えるべきではないか、と考えるわけである。

そう思って振り返ると、プロジェクトマネジメントに心理学的視点をとりこもうとした事例、それも無視できない大きな事例があったことに思いいたる。エリヤフ・ゴールドラット(Eliyahu Goldratt)である。

ということで、次回は、ゴールドラットの制約理論、およびそれをプロジェクトマネジメントに適用したクリティカルチェーン・プロジェクトマネジメントについて見ることにする。

本ブログのタイトルが「プロジェクトマネジメントを哲学する」でなければならないわけがお分かりいただけたと思う。本ブログが目論んでいるのは、プロジェクトマネジメントの前提を根底から見直すことなのである。

ということで、次回はゴールドラットです。

では、また。

*1:カーネマンは、著書ファスト&スロー』のなかで、「サイモンは、20世紀の知の巨匠である。彼は20代のときに組織における意思決定論を執筆し、これはすでに古典となっている。サイモンの数多い業績はそればかりではなく、人工知能分野の創設者の1人であり、認知科学の重鎮であり、科学的発見プロセスで多大な影響力を持つ研究者であり、行動経済学の先駆者である。そして、ほんのおまけでノーベル経済学賞を受賞した」と言っている。(カーネマン, D.(著)、村井章子(訳)(2014)『ファスト&スロー(下)』ハヤカワ・ノンフィクション文庫, p.367)

*2:Projcect Management Institute (US)

*3:面倒なので出典は確認していない。いずれ、過去と現在の文献を調べ、出典を確定したいと思っている。

*4:次回に見るゴールドラットは、彼のビジネス小説のなかで、登場人物に「過去約40年の間、少なくとも私の意見ではだが、目新しいことは何も起きていない」と言わせている。(ゴールドラット, E.(著), 三本木亮(訳)(2003)『クリティカルチェーンダイヤモンド社, p.23.)